【何如なれば達と謂うべき】(顔淵第十二) | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

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(顔淵第十二)

子張(しちょう)問う、士(し)、如何(以下)なれば斯(こ)れ之(これ)を達(たつ)と謂(い)うべき。子曰わく、何(なん)ぞや、爾(なんじ)の所謂(いわゆる)達(たつ)とは。子張対(こた)えて曰わく、邦(くん)に在(あ)りても必ず聞(きこ)え、家(いえ)に在(あ)りても必ず聞(きこ)ゆ。

 

【訳】

子張が「士はどういうのを達人と言うことができましょうか」と尋ねた。

先師が逆に尋ねられた。

「お前の達人とはどういうのかね」

子張がお答えした。

「国にあっても評判がよく、家にいても評判がよいということでございます」

 

<論語が醸すコーチング>

【何如なれば達と謂うべき】どんなことを達成したいのか、常にコーチはクライアントに問いかけて、クライアントの中にあるゴール達成イメージを具体的な言葉にして、そこに向かって行動できるようサポートしている。