(子罕第九)
子、顔淵(がんえん)を謂(い)いて曰わく、惜(お)しいかな。吾(われ)其(そ)の進むを見るなり。未(いま)だ其(そ)の止(とど)まるを見ざるなり。
【訳】
先師は顔回のことをこう言われた。
「惜しい人物だったなあ。私は彼が常に進むのを見たが、まだそのとどまる所を見たことがなかった」
<論語が醸すコーチング>
【未だ其の止まるを見ず】未だ行動しない姿を見たことがない人はいるけど、コーチはクライアントが進むばかりで自分を制御できなくなっていると感じたら、自分の様子を測るバロメーターを見て、時には立ち止まって考えられるようサポートしている。