(子罕第九)
且(か)つ予(われ)其(そ)の臣(しん)の手(て)に死(し)なん與(よ)りは、無寧(むしろ)ニ三子(にさんし)の手(て)に死(し)なんか。且(か)つ予(われ)縦(たと)い大葬(たいそう)を得(え)ずとも、予(われ)道路(どうろ)に死(し)なんや。
【訳】
「また私はその俄仕立ての家来の手に死ぬよりも、むしろ二、三の諸君の手によって死にたいものだ。それに自分はたとい立派な葬儀をしてもらえなくても、道路に野垂れ死にするようなことがあろうか」
*内心では子路の厚意を感謝しておられるように思われる。
【予道路に死なんや】志を持って生きているのなら、たとえ道半ばで生涯を終えてもその志は後世に受け継がれて行くので、コーチはクライアントに志を問い続け、志とゴールのつながりを明らかにするサポートをしている。