【文茲に在らず】(子罕第九) | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

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(子罕第九)

子、匡(きょう)に畏(い)す。曰わく、文王(ぶんのう)既(すで)に没(ぼっ)したれども、文(ぶん)茲(ここ)に在(あ)らずや。天(てん)の将(まさ)に斯(こ)の文(ぶん)を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者(もの)、斯(こ)の文(ぶん)に與(あずか)るを得(え)ざるなり。

 

 【訳】

先師が衛から陳へ行かれる途中の匡の町で恐ろしい目に遭われた。そのとき先師が言われた。 「聖人と仰がれる文王はすでに死んでこの世にはいないが、その道は現に私自身に伝わっているではないか。天がこの文(道) を滅ぼそうとすると、私(後死の者) はこの文にあずかることができないはずだ」

 

<論語が醸すコーチング>

【文茲に在らず】文はその人の気づきや学びを別の視点で眺めたり伝承することができるので、コーチはクライアントが気づいたことや学んだことを言葉で聴くだけでなく、時には文にするようリクエストしている。