【敬せずんば何を以て別たんや】(為政第二) | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

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(為政第二)

子游(しゆう)、孝(こう)を問(と)う。子曰わく、今(いま)の孝(こう)は是(こ)れ能(よ)く養(やしな)うを謂(い)う。犬馬(けんば)に至(いた)るまで皆(みな)能(よ)く養(やしな)うあり。敬(けい)せずんば何(なに)を以(もっ)て別(わか)たんや。

 

【訳】

子游が孝について尋ねた。

先師が答えられた。

「今では親に衣食の不自由をさせないのを孝行と言うが、犬や馬に至るまで皆よく養っているではないか。敬わなければ、何によって犬や馬と区別しようか」

 

*子游は字。姓は言、名は恨。孔子より四十五歳若い。

 

<論語が醸すコーチング>

【敬せずんば何を以て別たんや】敬う心を持たない関わりは動物と区別がつかないので、コーチはクライアントが人と関わるときに抱いている気持ちを感じたまま率直に伝えて、自分の気持ちに気づけるようサポートしている。