晩夏にセミを見て | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

いつも話を聴く姿勢であり続け
いつも相手を認めることを忘れず
人として生ききることを目指している。
つねにコーチであるために、一期一会一日一日を大切に歩んでいます。

今日の天気は、曇りときどき晴れ。まだまだ暑い日が続きますが、
ようやく夜は涼しさを感じられるようになってきました。

もうすぐ8月も終わりです。

最近の公立学校は、8/25で夏休み終了というところが増えて来た
ようです。

夏休みの宿題に追われている子供たちも多いことでしょう。

我が家では、今週末から家族旅行を予定しているせいで、いつもより
宿題の追い込みが厳しくなってきています。

私も、お休みを頂くために、仕事を前倒ししたり、後ろに回したりして、
なんとかスペースを空けようと必死になっています。

#人に振ったりもして(^^ゞ

今年の夏は「暑い!」という印象ですが、やり残していることは
無いでしょうか?

と、振り返ってみると、「進まないこと」がたくさんありました。

でも、よくよく考えてみると、それと同じぐらい「進んだこと」が
あるハズです。

目の前の「進まないこと」に気を取られ、「進んだこと」が見えなく
なっているのだと思います。

不思議なもので、この気を取られていることというのが、今の自分の
全てのように感じてしまうのが人間なんですね。

普段から、見えなくなっていることに気づけるような習慣をつけておくと
毎日が感謝の連続になります。

#ポジティブシンキングですね(^^)

先日、セミが我が家の屋上に落ちる姿を目撃しました。

彼としては、一生懸命飛んでいたと思うのですが、セミはあまり飛ぶことが
得意ではないらしく、手すりにぶつかって落ちてしまったのです。

仰向けになって倒れたので、そのまま生涯を閉じるのかと思いきや、
羽を広げて翻り、また元気に飛び立って行きました。

セミは、成虫として生活できる時間が一週間ほどです。

屋上で寝ている時間など、微塵もないのでしょう。

どこかの木にとまり、この世の夏を謳歌して、今頃生涯を閉じたので
しょうか。

長い間、幼虫として土の中で生活し、その時期が来たら、土の中から
這い出し、殻を脱ぎ捨て、大空に羽ばたくのです。

こんなセミの姿からも、学べることがたくさんありました。

ゲーテは自然をこう表現しています。

-----「地質学について、警句的」1822年から-----

なぜ私は結局最も好んで自然と交わるかというに、自然は常に正しく、
誤りは専ら私の方にあるからである。
これに反し、人間と交渉すると、彼らが誤り、私が誤り、さらに彼らが
誤るというふうに続いて行って、決着するところがない。
これにひきかえ、自然に順応することができれば、事はすべて
おのずからにしてなるのである。


みなさんは自然をどうみていますか?