クリスティーナがロビーの清掃をしていると、正面の大きな扉が音を立てた。屋内の灯りとは違う、午後の日差しが一時だけ流れ込む。
  定休日であるこの日この時間に旅館の戸を開けるのは、住居人であるクリスティーナかリックのみである。
  もちろんそこには、帰宅した彼女の兄、リックの姿があった。

「おかえり」

  その一言だけを放つと、クリスティーナはそっぽを向いてしまった。あの一件があってからは、言葉は交わすものの、何かと兄とはギクシャクしてしまっていたのだ。

「ただいま。──ティナ、お友達を連れてきたよ」

  友達。その覚えのない言葉を聞いたクリスティーナは、再び顔を上げた。
  先程は兄の姿しか見えていなかったが、その後ろにはもう一つ、兄より小さな人影があった。

「キミ…また来たの?」

  見覚えのあるその姿に、クリスティーナは呆れ顔をする。

「『キミ』じゃなくて、モニカさん。僕が誘ったんだよ」
「ごめん!断れなくて…!」

  リックの一歩後ろで、申し訳なさそうに頭を搔くモニカを見て、ティナは溜め息をついた。
  現在、兄との関係が良好でないのにも関わらず、兄も、そしてモニカも、よく堂々と足を運んだものだと感じていた。
  ふと視線を下ろすと、リックの片手には可愛らしい箱がぶら下がっているのが見えた。その視線に気付いたリックはクリスティーナに微笑みかける。

「今日はそのくらいにして、ティータイムにしよう。ティナの好きな物、買ってきたんだよ」

  そう言うと、モニカを手招きながらダイニングルームへと向かって行った。
  あの形状の箱で、クリスティーナの好きな物と言えば一つしか思いつかない。颯爽と清掃用具を片付け、彼女もまた、ダイニングルームへと向かった。


  自分の背丈の倍以上もある、大きな扉を片手で何の苦もなく開くと、既にリックがお茶の準備を始めていた。
  クリスティーナが部屋に入ってきた事に気付くと、リックは先程手にしていた箱の包みを開けて見せた。

「チョコレートケーキ…」

  先程までの不貞腐れた表情とは打って変わって、クリスティーナは目を大きく開き、感嘆の声を漏らすようにそう呟いた。

「今、お皿とフォーク準備するから、ティナは座って待ってていいよ」

  そう言ってキッチンに消えていく兄の後ろ姿を見送った後に、普段はないもう一人の視線に気付いた。

「そういえば居たんだったね」

  モニカと視線を交わしながら、クリスティーナは自身の席へと座った。
  モニカは気まずさを感じながらも、何か言葉を繋げなければと、必死に頭の中を巡らせた。が、そんな事も束の間、少しすると、人数分のケーキと紅茶の乗ったプレートを持ったリックがダイニングルームへと戻ってきた。

「お待たせしました。モニカさんすいません、ショートケーキしかなくて…。イチゴ、お好きですか?」

  訊ねながら、リックは彼の目の前にキラキラのイチゴが乗ったショートケーキとティーカップを置いた。続けてクリスティーナにもチョコレートケーキと、そして自身のものを置いてリックも席に着いた。

「全然!毎日いちご牛乳を飲むくらいには好きだよ!ありがとう!」

  そう言うと、イチゴと同じくらいのキラキラの目をしてモニカはケーキを見つめた。
  ふと視線を上げ、向かいに座るクリスティーナを見ると、なんと既に目の前のチョコレートケーキに手を伸ばしていた。
  しかし、モニカがそれよりも驚いたのは、チョコレートケーキを頬張る彼女のその表情である。
  ここへ来る前にリックから聞いていた通り、子供のような満面の笑みで、黙々とチョコレートケーキを食していた。

「ティナ、美味しいかい?」

  ティーカップを口へ運びながら、リックはクリスティーナに問いかけた。

「当たり前だよ!このケーキ、スヴニールのだろ?あそこまでわざわざ買いに出たの?」

  ケーキを食す手を止めることなく、クリスティーナは自然と兄と会話を弾ませた。

「ティナがあそこのケーキが好きなのを知ってたからね。それにほら、あの箱、わざわざプラリネさんが可愛く飾り付けてくれたんだよ」
「へえ、そうなんだ。──っていうか、プラリネはあたしより歳下のくせにお姉さんぶりすぎなんだよ。お節介っていうかなんていうか…まあ、嫌いじゃないけど」


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  プラリネの愚痴を零しつつも、クリスティーナの表情は笑顔のまま変わらない。
  つい、モニカはそんな彼女を見つめてしまっていた。そのせいで、自分が目の前の品に一口も手をつけてない事に気がついたのは、リックから「お口に合いませんでしたか?」と声を掛けられてからだった。
  急いでケーキを口に運び始める頃には、クリスティーナはもう目の前のチョコレートケーキを食し終えていた。

「…モニカは、甘い物好きか?」

  その言動に、モニカは一瞬固まってしまった。
  というのも、彼女から自分に対してそういった台詞を口にされるのが初めてだったからだ。

「勿論!っていうか、お菓子とかって見た目が可愛いもの多いじゃん?そりゃ味も好きだけど、見てるだけでも幸せっていうか…!」

  戸惑いを隠すように、必死に言葉を紡ぐ彼を見て、クリスティーナは思わず小さく噴き出して笑った。

「え!?お、オレ何か変なこと言ったか!?」

  慌ててそう訊くと、クリスティーナは「いや」と一呼吸置いてから口を開いた。

「甘い物好きな人に、悪い奴はいないからな。…そうだね、友達…なってあげてもいいよ」

  自分に向けられたその言葉と、彼女の微笑みに、またしても度肝を抜かれてしまうモニカだった。