遥かな昔の物語(14) ふたつ目の過去世 検証・物語の背景 | 前世の記憶を辿る Past life memories

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元ブログ『前世の記憶』の続き。
前世の記憶では前世以外のカテゴリーも様々書きましたが、本ブログは、
前世関係に特化させたいと思っています。

前世視を続けるうち、西洋を舞台にした前世が過去に幾度も登場していたせいか、衣装だけでだいたいの年代が分かるようになっていた。

『ふたつ目の過去世』についても、冒頭の観劇のビジョンを見た時すでに、19世紀から20世紀にかけての時代だろうと思った。

 

視えたダーリャの衣装に近いものを画像検索すると、記事に幾つか載せたようなイメージに重なる。

そしてそれは 1860年頃以降 のもの。

物語の背景も、衣装と年代が被る時代の出来事に重なった。

 

ビジョンと共に現れたキーワードを辿ると、以下のようになる。

 

『政府に逆らっている』 ミハイルから視えたワード、

インテリゲンチャ(インテリゲンツィア)

 

世界史の窓より

インテリゲンツィア=19世紀ロシアでの青年知識人層。

19世紀のロシアで、※ツァーリズムに対する批判が強まる中、貴族や豊かな階層の出身者の「知識人」で、西欧社会の進歩思想や、社会主義思想に共鳴し、ロシアの後進性を克服し、社会改革を行う必要を説く人々が現れた。1830年のゲルツェンやベリンスキーなどが先駆的な人物である。ツルゲーネフの『父と子』などの作品はインテリゲンツィアの苦悩を描いている。
 19世紀後半になると、彼らはツァーリ政府の弾圧を受けて政治活動の限界を感じるようになり、※アナーキズムの影響も受けて、人民の中にはいって運動を進めるべきであるという※ナロードニキの主張を持つようになる。しかし、ミールというロシアの伝統的農村共同体は強固な保守思想を持ち、彼らを受容しなかったため、次第に行き詰まる。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などでよく知られるようになるドストエフスキーは一時その運動に加わり、流刑となっている。
 
※ツァーリズム
ツァーリ(君主)によるモスクワ・ロシアおよびロシア帝国の絶対君主制体制のことをさす。

 

※アナーキズム
無政府主義。「起源、根拠、権力arche」が「ないan-」という意味のギリシャ語の単語(アナルコス)に由来する。無政府主義(アナーキズム)とは、文字通り国家や政府による統治を否定的なものとして捉え、これらが最小化された社会を志向する政治思想である。歴史的に見れば、アナーキズムは社会主義ないし共産主義の延長線上にある思想であり、19世紀後半から20世紀前半にかけて隆盛を極めた。

 

※ナロードニキ

1860~70年代のロシア、インテリゲンツィアによるヴ=ナロード(人民のなかへ)を掲げた革命運動。

ツァーリズム支配を倒し、社会主義を実現する運動を、ロシア独自のミール(農村共同体)にひろめることで革命に結びつけようとした、都市の知識人をナロードニキと言った。人民主義者との訳語で言うこともある。バクーニンのアナーキズムの思想の影響を受けた青年、学生などのインテリゲンツィアが、「ヴ=ナロード」(人民の中へ)を合い言葉に、農村の中に入り革命思想の宣伝に努めた。しかし、保守的な農民を動かすことが出来ず、次第に絶望して、一部はテロリズムに走り、一方ではニヒリズムに陥っていった。1881年にアレクサンドル2世を暗殺したのは、ナロードニキの流れを汲むテロリストであった。
 
ナロードニキの逮捕
 
アレクサンドル2世(1818〜1881年)暗殺
クリミア戦争での敗北により、ロシアの後進性が明らかになり、社会の近代化のため、アレクサンドル2世は、一連の「大改革」といわれる改革に取り組むこととなった。
1861年、農奴解放令を公布した。※農奴制は、自由な商業や産業の発達の足かせとなり、ロシア社会の後進性の原因であったので、その廃止は急務であった。これは農奴の人格的解放と土地所有を認めたものであったが、有償でしかも与えられる土地は個人ではなく農村共同体(ミール)であったので不十分であった。
1864年、地方自治機関であるゼムストヴォを設置、 地域の道路整備、医療、教育などに当たった。
その他、「大改革」には治安判事と陪審員裁判を取り入れた司法制度の改革、士官養成や管区編成の変更などの軍事改革、初等教育・中等教育の充実などの教育改革などがおこなわれた。
いずれも、ロシアにとっての課題であった近代化を、皇帝が上から実現を図る改革であり、それによって1860年代にはロシアの産業革命が始まった。
しかしその上からの改革は、ツァーリズムの圧政に対する反発を呼び覚まし、1860~70年代にはナロードニキ運動が盛んになった。
また、1863年にはロシア支配下でのポーランドの反乱が勃発した。それらの運動は官憲、軍隊によって厳しく弾圧されることとなり、その結果として1881年には、アレクサンドル2世暗殺がおこることとなる。
 
アレクサンドル2世暗殺1発目の爆弾が爆発した直後の現場
 
※農奴制
モスクワ大公国(1263年〜1547年)の時代から帝政ロシアにかけて続いた、農民の移動を制限する制度。
 
農奴解放令を読む農奴たち
 
ミハイルは、このような時代を背景に、自分の出生のこともあり、上記のような活動(政治理論?)に共鳴したのではないかと想像した。