青い空の下で(22) ~ 検証・ドイツとポーランド | 前世の記憶を辿る Past life memories

前世の記憶を辿る Past life memories

元ブログ『前世の記憶』の続き。
前世の記憶では前世以外のカテゴリーも様々書きましたが、本ブログは、
前世関係に特化させたいと思っています。

物語の主人公である女性の名を、視えた情報から 『シモーネ』 

としましたが、その際--どの物語もそうですが、名前の裏付けを

取るようにしています。

 

調べてみたところ、ポーランド人女性名では見つけることができず、

結果イタリア、もしくはドイツの女性名だということがわかりました。

 

何故母がポーランド人名にしなかったかを考えると、彼女はドイツに

骨を埋める覚悟でいたのではないかと・・後々、ドイツ人夫婦の養女

になるとはその時点では夢にも思っていなかったでしょうが。

 

 

また、『お兄ちゃん』に対する暴力事件について、以下の資料--

20世紀初頭におけるドイツ(プロイセン)によるポーランド人抑圧政策

を読むと、それが不条理な行いの遠因、ではないかと思わずには

いられません。

**************************************************

ドイツ第二帝政期におけるポーランド人抑圧政策

抜粋

 

ポーランド人に対する抑圧的な政策は、1871年に起こった文化闘争に

その端緒をみることができる。

1900年代にはゲルマン化政策の結果、ポーランド民族運動が

おこる。

これらはプロイセン政府による学校教育・言語政策等の分野での

ゲルマン化政策に対抗するものであった。

例えば1887年の言語条例ではポーゼン州のポーランド児童に

とってポーランド語の使用は宗教の時間しか許されなくなった。

 

しかし1900年になると、国民学校高学年を対象に宗教の時間に

ドイツ語が導入されることとなり、これがヴレッシェン学校スト

ライキの勃発する契機となった。

これをきっかけにポーランド人抑圧政策は一層強化されることになる。

 

学校教育でも1902年から06年にかけてポーゼンではドイツ語による

宗教の授業は徐々に増加した。

そうした事態に対するポーランド人の民族的抵抗が、1906-07年の

ポーランドにおける学校ストライキとしてあらわれるのである。

**************************************************

 

ドイツ人の、ポーランド人に対する差別意識のようなものが、

表面化した事件だったのではないかと思います。

 

 

 

ドンブロフスキのマズルカ

別名 ポーランドは未だ滅びず (ポーランド国歌)

(Jeszcze Polska nie zginęła) 1797年 ユゼフ・ヴィビツキ作詞 

https://www.youtube.com/channel/UCeuIVBxllHRgXpGSPzjzkoA

 

この歌は第3次ポーランド分割によって共和国が全ての領土を失って

から2年後、1797年にヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ将軍が率いる

亡命ポーランド人部隊の軍歌として書かれたものだが、この抵抗歌が

第一次世界大戦後にポーランド国歌として定着した。

 

 

 

音譜ランキングに参加しています音譜 


スピリチュアルランキング

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ
にほんブログ村