青い空の下で(21) ~ 検証・シモーネの両親について | 前世の記憶を辿る Past life memories

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元ブログ『前世の記憶』の続き。
前世の記憶では前世以外のカテゴリーも様々書きましたが、本ブログは、
前世関係に特化させたいと思っています。

シモーネの両親に関する記事で、うっかり父親の

国籍を書くのを忘れていたことに、ブログ終盤に

なって気がつきましたガーン多いです・・わざとではありませんガーン

加えて、両親のバックグラウンドについても説明

不足の部分がありましたので、詳細を記したいと

思います。

 

シモーネの母は、ポーランド人であるが、経済的に

苦しい実家を離れ隣国ドイツに渡り、出稼ぎ労働者

(移民?)として働いていた。

父は、フランス兵で、ポーランドに出兵していた際

里帰りしていたシモーネの母親と出会い、恋に落ちる。

 

上の情報が視えた時、歴史に疎いコダイは、何故

ポーランドにフランス兵??

と・・

 

以下に、彼らの当時の年齢とおそらく同時期頃と思われる

時代の出来事が書かれていました。

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ポーランドの歴史~ウィキペディア

抜粋

 

1918年11月、大戦中にドイツと対立して収監されていた

ユゼフ・ピウスツキが釈放され、彼を国家元首とする

ポーランド共和国の独立が宣言された。

1919年のヴェルサイユ条約では敗北した旧ドイツ帝国から

ポズナニ・西プロイセンを獲得、また東プロイセンがドイツ領に

残された代わりに海への出口として「ポーランド回廊」を割譲

されたが、外港のグダニスク(ダンツィヒ)は国際連盟管理地域

として自由都市ダンツィヒとなり、港湾使用権を認められた。

国境が画定していなかったポーランド東部では、ピウスツキは

実力行使に訴えた。まずは東ガリツィアの西ウクライナ人民

共和国を倒し、リトアニア、ベラルーシにも軍を進めた。さらに

ヤギェウォ理念(対ロシア東ヨーロッパ連合)の構想のもとで

ポーランド・ソヴィエト戦争を引き起こし、当初はウクライナの

キエフまで至った。

その後、ソヴィエト・ロシア政権のトゥハチェフスキー率いる

赤軍が反撃に出てポーランド領のワルシャワ近郊まで逆に

攻め込まれたが、これに対して、社会主義革命の拡大を

恐れて対ソ干渉戦争を行っていた欧米、とりわけ

フランスがポーランドへ援助を行い、

ポーランド軍は赤軍を押し返すことに成功。

翌年にリガ条約で停戦した。

1923年に連合国は実効支配下の地域をポーランド領と認めた。

 

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また、ポーランドの当時の経済状況、出稼ぎ労働者についての

資料も以下の如くです。 
 

ポーランド~戦前・戦中の経済困難

抜粋

 

長らく異なる経済圏に遭った地域を一つの経済に統合していく

ことも容易ではなく、さらに民族的にも中核となるポーランド人

(全体の3分の2を占めた)の他に、ユダヤ、ウクライナなど多くの

少数民族を抱える多民族国家であったことなどから、国論も

なかなかまとまりにくかった。

経済不振、政情不安が続いたため、20年代半ばにはクーデター

が発生し、軍部独裁政権に変わっている。

戦前のポーランドは農民が6割を占める農業国であったが、

西欧と似た市場経済の国であった。しかしながら、20年代

後半に農産品の国際価格の暴落があり、

30年代には世界大恐慌の影響で、激しい

不況に陥り、結局、第一次世界大戦前の経済水準を

超えることはなかった。

 

 

19世紀初頭のドイツ国内におけるポーランド人

抜粋

 

ポーランドは、その歴史的な背景から、移民を

多く輩出する国でした。

イタリア人労働者が工業部門で多く働いていたのに対し、ポーランド人

労働者は主に農業部門に就労していました。

外国籍ポーランド人は、ロシア領やオーストリア=ハンガリー領

からやってきており、当時のドイツに存在した外国人労働者の中で

最大の集団でした。

深刻な労働力不足に悩まされたドイツ農場主

たちは、安価な季節労働者を大量に雇いました。

ドイツ農場での労働条件は劣悪ではありましたが、ポーランド

本国に比べればはるかに良好であり、そういった

点からドイツ農場主、すなわちユンカー(ドイツの地主貴族)から

「安上がりで従順」という評価を得て、農場での労働市場を席巻

していきます。

 

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資料を読むと、貧しさから出稼ぎに出たことも、当時のポーランドの

経済状況を知れば、個人的な都合というより、やむなく職をドイツに

求めたとも考えられます。

 

 

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