前回で、『輝く星に導かれ』は終了させていただきました。
今回から、検証に入らせていただきたいと思います。
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先ず、(4)メインの過去世 で書いた、
『職業服』とは、物語にあったように、『修道服』のことでした。
17世紀にこの地方を拠点にサファヴィー朝が起こり、カスピ海南西岸
地域一帯の多くのテュルクメン系の人々がシーア派へ改宗した結果、
アゼルバイジャン人(アゼリー人)と呼ばれる民族が形成されていった。
18世紀にロシアがカスピ海方面への侵攻を強めるようになり、19世紀に
入るとイランと本格的な紛争が始まる。
1804年に始まった第一次ロシア・ペルシア戦争の講和条約
ゴレスターン条約(1813年)、1828年のトルコマーンチャーイ条約
によりアゼルバイジャン北部がロシアへ併合され、
ロシア領アゼルバイジャン、イラン領アゼルバイジャンの
南北に二分された地域となった。
ティフリス(トビリシ〜ジョージア(グルジア)の首都)に置かれたカフカース
総督府は、当地に対し植民地政策を断行し、住民を抑圧した。
1870年、農奴解放が行われると資本主義的な発展を見せ、鉄道、
石油産業を機軸として産業化が進行した。
1917年、二月革命が起こると、各都市に有産諸団体とソビエト諸団体
の連立地方権力、民族主義党派ムサーワート党を中心として民族ソビエト
が形成された。
やがてロシアの統治下でアゼリー人の民族意識が高まった。
1918年、この地域のアゼリー人民族主義者たちは十月革命後の
混乱を縫ってアゼルバイジャン民主共和国を打ち立てることに成功した
(5月 ムサーワートによりアゼルバイジャンの独立が宣言された)が、
イギリス軍によって占領され、これに反応した赤軍がバクーに侵攻、
ソビエト政権が成立した。1922年末、サカフカース社会主義連邦
ソビエト共和国の一部となり、同連邦の解体にともない1936年より
アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国として直接にソビエト連邦
を構成する共和国の一つになった。
1989年10月5日共和国主権宣言。
1991年2月5日「アゼルバイジャン共和国」に国名変更。
1991年8月30日共和国独立宣言。
1991年12月21日、独立国家共同体(CIS) に参加。
同年12月25日付でソ連邦は解体・消滅。
これによりアゼルバイジャンは晴れて独立国家となった。
19世紀のコーカサス戦争
コーカサス戦争は数十年間、具体的には1817年から1864年まで続いた。
3代のロシア皇帝が終わりの見えない戦いに終止符を打とうとした。
コーカサスの山岳民の平定という課題は、18世紀初頭のロシア帝国の
政策計画に登場する。この頃、トルコとイランの脅威に直面したジョージアの
諸国が保護国化を求めてロシア政府に接近していた。
ロシアはアゼルバイジャンも支配下に収めた。
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