ドラマの存在は、その妙なタイトル?から知ってはいたけど、
ドラマ自体、内外問わず観る習慣が無いうえ、--タイトルを
読めば、同性間の恋愛を描いたものだろうといった想像は
つくものの、ネーミング?の印象から、勝手に大したことない
だろうと、ほぼ興味の対象から外していた。
でも、自身のブログの表紙に『ベニスに死す』の画像を
使うほどなので、無視できないカテゴリーには違いなかった。
ここで自論ですが(すべて自論ですが!?)
BLとか同性間の愛等が、現代の日本でも依然、
禁断の領域扱いをされている理由は、実際、女性でも
男性でも、現実に恋愛する相手は異性、という場合が
圧倒的多数だから。
それは、人類が繁栄するために与えられた生殖機能で、
それが大多数を占めるのは、滅亡を防ぐために『物理的に』
神が配慮したものだろう。
とはいえ、近頃、子孫を残せるか残せないか、といった
生殖機能の観点のみに焦点を当て、LGBTという性的
マイノリティーの存在価値を問うような政治家を散見する。
確かに少子化に拍車がかかり、社会保障料等の負担増が
危機的状況に陥っているので、という理由はわかる。
戦争により国家の人口が激減すれば、『産めよ増やせ』
が急務になるのと同じ。
しかし、視点を変えれば生殖機能はあっても、それを
利用するしないは、個々の生き方に大きく左右される。
そこに国家が口だしすれば、由々しき問題だろう。
ナチスの『優生思想』のようなものである。
今の日本が、性の多様性に配慮できない、余裕のない
成熟した国家ではなくなりつつあるならば、否、昔から
成熟していないのかもしれないが、それを配慮できる社会
にするのが理想だ。
でもそれは経済的に、つまり子どもの頭数が増えれば
解決する問題なのだろうか?
LGBTが生理的に受け入れられないという、
『個人的な』理由によって敬意を払わないということがあれば、
それは違うと思う。
性の多様性というのは個々人の好みで、それは性だけに
留まらない--食の好み、人の好き嫌い、服装の好み等と
何ら変わらないと思うのに、性の好みだけ特別
みたいな取り上げ方には公平性を感じられないので。
そんなわけで、云いたいことは、↑のような正論と思しき
意見を持っていても、マジョリティーには敵わず、何故か
後ろめたい気持ちになってしまうということ。
でもそれは、春田が言うように
『お前が(人が)勝手に決めるな!』
という事になるのだ。
事実、この異色(男性同士の恋愛)ドラマに盛り上がって
いるのは、BL好きの女子ばかりではないらしいこと。
ドラマに感動して涙が止まらない男性視聴者(異性愛者で
ありながら)が居たり--という話が様々あるらしい。
ところで先に書いたように、これが私にとって無視できない
カテゴリーではあるものの、そこには、ここまでといった
限界があるのだ。
BL小説や類の映画に濡れ場があるものは、恐ろしくて見れない、
あってもいいけど、それは最最最小限にしてよ、といった
限界必須のヒトなのである。
『ベニスに死す』が好きなのは、ビョルン・アンドレセンの
中性的な美しさ--もうこの美しさ自体『ファンタジー』の世界
ですが(私はファンタジー映画が結構好き)勿論、軽いキスも
濡れ場も無い、少年を愛する主人公の視点から延々と少年を
ストーカー?する、それに伴った映像が、もうアートの領域に
入っていて、少年の美しさもさることながら、映像自体も美し
すぎる、それをすべて含めて好きを飛び越え、
『ベニスに死す愛』になっている・・
でもそこで述べておきたいことは、ならば、美少年ではなく、
何故『美少女』ではいけないのかということ。
美少女であれば、少数派問題も解決するのに--
少年には、女性とは相容れない
硬質な
美があり、それが、代替えには決してならない理由である。
※私はこの部分で、オペラの女声と男性のカウンターテナー
の間に類似した要素があると思っています。
そんなわけで、このカテゴリー好き、といっても、映画、
漫画を含めて6~7本ぐらいしか知らない。
脱線しまくりましたが、なので、それが裏目に出たと後悔
したのが、今回の
おっさんずラブ
だった。
1月2日に放送された『新春イッキ見スペシャル』を見て、
タイトル(失礼)に惑わされすぎたか・・と!
OL(おっさんずラブ)民にとって、古い話になっている
としたら、一緒に盛り上がる時期を逸してしまったなら、
残念というしかない。
このドラマを見て、不覚にも泣いてしまったという人達が
多いらしいが、映画で様々な失敗を重ね(前評判に
煽られて)てきた私も、久々に涙無くして観ることができ
なかった。
OLロス、と言われていたようだが、正しく今そんな感じで、
録画した分をずーっと繰り返し見ている

アツくなりすぎて、ブログまで書いてしまう・・
長くなりそうなので次回に続きます

