空の彼方に・追記㊳ 柏原学而伝より(2) 考章の容貌 | 前世の記憶 ~Past Life Memories~

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占い師や精神科医に頼ることなく、自力で前世を蘇らせる方法。

他 映画、音楽、スポーツ関連記事も書いています。


で、『考章の人相や体型』について、ブログに詳しく載せなかった と書いた。

勿論、視えなかったというわけは無い。どの方の前世でも、先ず、その人の前世

の容姿、体型が視えてこなければ、一歩も先へ進めない。


書かなかった理由は、コダイ自身の偏った考えによる--

奥さまのメッセージを読み、正直にブログに書いておけばよかった、と後悔すること

となった・・


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2014年6月29日 続き

慶喜と学而の初対面のときの記載です。
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学而先生は体躯傀偉で而かも温顔を以って人に接せられた。

先生が一橋慶喜公に召し出された際、公は心中、窃かに“先生が貧困なる姿

でなければよい”ことを念願していられた所、初対面で

公自身が驚かれるほど立派であった

という。
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この時、学而30歳。

もしも半次郎と会ったのがこの学而であったならば…。
半次郎との出来事は適塾生活の後期と予想できますので、歳は20代後半。
30歳の時の容姿の印象はこれと大差なかったのではないでしょうか…。

金銭感覚が常人と異なること体格もよかったこと、そして平等に

人に接する性格が、コダイさんのブログに書かれた「孝章」に類似するのでは

…と思ってしまいました。
なかなかこんな性格の人物はいそうにないですし。


でも、断定するほどの確固たる自信はないのですが(;^_^A


柏原学而はとても立派な方で、この資料を読むほど、学而=孝章の念は深ま

りましたが、孝章=自分には程遠い(いや、恐れ多い)人物だなと思いました。
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2014年6月29日 コダイの返信

長文のメッセージありがとうございます!

ここでYさん(奥さま)に打ち明けなければならないことが2つあります。

後出しになってしまうことを考えれば、ブログに書けばよかったと思いましたが・・

ひとつは、考章の体型について。
考章登場と同時に、幕末の若い青年(彼も医者)の写真を載せましたが、彼は実は

視えていた考章とは似ても似つかない容貌であり体型でした。

視えたのは丸々とした顔で、少し太り気味、体格は大きくーー

お相撲さんを少し小さくしたような、でも円満な感じの人でした。
実際の考章氏がそうでなければ違う人かもしれませんが、『立派』だった、というところ

を読み、確かにーーと。


もうひとつは、晩年の考章の姿。立派な書斎で大きな座卓に座り、何か学問をしている

のか、書き物をしているのか、調査結果のごとく、長生きし、立派な学者か何かのまま

晩年を送っていた事をうかがわせるビジョンでした。


それにしてもこうなってみると、さんの前世のお友達は、偉人や超有名人ばかり

という事になりますがーー何か、繋がりを辿っていくとすごいことになりそうです( ̄□ ̄;)!!

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2014年7月01日

コダイさんの打ち明けて下さった孝章の件ですが。
まずは容姿。
これはコダイさんが視たものと資料とで一致してるように思います。
この資料に度々学而の容姿を現す表現があ
りまして、「大兵肥満」と書かれてい

ます。(30歳でも、開業医時代でも)

私が「学而=孝章」に最終的な確信が持てなかったのには、容姿の印象の違い

ありました。
ですが、前回のメッセージの内容を読み、確信に近づきました!


晩年の学而の記載ですが。
静岡を第二の故郷として永住し、63歳くらいから晩年は診療に励むよりも、趣味

に生き悠々自適の生活をおくったそうです。(76歳で逝去)

趣味は広く、和歌、書画、骨董、菊の栽培など。

学而の著書も相当の量があったそうで、勉学振りは徹底していたそうです。

医学関係の他にも、和歌や紀行文、随想などもあるとあります。

コダイさんの視た状況は、旅行の紀行文を書いていたのか?和歌を書いていたのか?

あり得る光景ですよね。


>それにしてもこうなってみると、Yさんの前世のお友達は、偉人や超有名人ばかり

という事になりますがーー


↑本当におっしゃる通り!!

福沢諭吉とは、適塾時代からウマがあったらしく、親友で生涯交際を続けていた

とあります。(慶應義塾でなにか行事があって福沢が出席するときは、学而も招待

するのが通例だったそうです。)

板垣退助の態度が悪く、往診に行ったのに怒って帰ったエピソードも資料にあり

ました。

慶喜の侍医時代は、池田屋騒動にもただちに駆けつけ、負傷者の治療をした

とあります。
新撰組のそうそうたる面子にも会っていた!?と想像してしまいますよね(゜∀゜;ノ)ノ


ただただ、驚きです。

逆に波瀾万丈な人生だったのに、歴史に埋もれていることが不思議です。
自分の前世であると確信に近づいても、知れば知るほど信じられない気持ちにさせ

られます。

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体型等について書かなかった理由は、この後再度送らせていただいたコダイの返信

の通り↓


--私が最初に視たのは、半次郎と出会った当時の若い顔。
偏見かもしれませんが、食糧事情が現代のようではなかった時代、残されている当時

の人々の写真を見ても、丸々と太った人物を見た記憶が無いことなどから、こんなに

栄養の行き届いた容姿と体型はあり得ないかも・・と勝手に思い、疑心暗鬼になった事

が、敢えて書かなかった理由でした。