海辺の家に関して、視えた分量に限界があった、と①で書いていた。
実は、大きな帽子を被った水着の少女が視えてくる前に、あるビジョンを視ていた。
それは、日傘を差し、裾まであるドレスに身を包んだ、二十歳ぐらいと思われるある女性
の姿--
道端にたたずむそのレディの後ろから聞こえてくるのは、蹄の音・・・
振り向くと、まるで白馬に乗った王子様のような青年が馬上にいる--。
--が、その顔は太陽の光に包まれ、どうしても視えない・・
ビジョンの続きも無く、前世透視の困難さを予感した。
ほどなくしてローラの物語が視えてきたため、そのまま進むと思われたが、これもまた、
前回の部分を最後に、続きが現れて来なくなった。
確かに私が視ている前世は、その人生の全てを視ているわけではないし、また、能力の
限界でもあるだろう。しかし、ある人物の前世で、その過去世の伝えたかった部分、また、
今世との関係性において必要な部分が明らかになれば、それは、全て視えていなくとも
一応成功だと思っている(私の立場から見て)。
なので 量より質 との考え方は変わらない--が、かといって、それも限度がある。
ただ、私自身の前世にもあったが、極端に分量の少ない場合、早世したという例もある。
今回、その可能性も探ってみた。
すると--視えてきたのは、ベッドの上で熱に浮かされたように横たわる少女の姿。
少女が、病によって短い命を絶たれたと思われる映像だった・・
