鯖街道に関する検証で、急げば福井から京都まで、2日ほどで辿り着いてしまうことが
分かった。
現代のような乗り物の無い幕末でも、それほど困らない道のりである。
が、鯖街道の主要道路である 若狭街道 は、冬は雪の峠を越える必要があり、その
峠越え が大変であるということだ。
私が見た半次郎の旅の様子に、そのような苦労の影は一向に視えない。
そこで、もう一度地図を検証してみれば、鯖街道の始まりは 小浜 であって、敦賀 から
は遠く離れていることが分かる。敦賀周辺に住む半次郎が、上方へ上るため、わざわざ
小浜まで遠回りしたとは考えにくい。
その観点から、敦賀から京都へほぼ真っ直ぐ延びている
西近江路
を辿ったと考える方が自然だ。
Wikipediaより
西近江路(にしおうみじ)は、近江国(滋賀県)から越前国へ通じる街道で、
古代・中世の北陸道。北国海道、北国脇往還、北国往還、北国脇道とも。
1887年(明治20年)に西近江路として県道となりこの名称が定着した。
古来より都と北陸を結ぶ道として人の往来が多いだけでなく、壬申の乱、
藤原仲麻呂の乱、治承・寿永の乱(源平合戦)、織田信長の朝倉攻めなど
では大軍が移動している。また、平安時代の遣渤海使もこの道を通るなど、
交流の道でもあった。
→ 和邇宿(大津市和邇中)
→ 木戸宿(大津市木戸)
→ 北小松宿(大津市北小松)
→ 河原市宿(高島市新旭町安井川)
→ 今津宿(高島市今津町今津)
→ 海津宿(高島市マキノ町海津)
→ 敦賀宿(敦賀市元町)
Wikipediaの文章を追っても判り辛いので、西近江路に関する資料を探していたら、趣味で
各地の歴史街道を徒歩で辿っている方のブログの中に、
東海道大津宿 札の辻(滋賀県)から出発して西近江路ゴールである
海津へ、そこから七里半街道を辿って敦賀まで完歩 した記録を見つけた。
丹念に写真が載せてあり、特に峠越えで困った描写は見当たらない。逆に、七里半街道の
宿場だった 山中 など、今では廃屋のある寂れた場所でも 享保7年には問屋が
10軒もあったほどの規模 だった と、当時かなり賑わいがあった街道であったこと
も伺わせている。
半次郎が上方へ上った路は、この路ではなかったかとーーそう考えてもあながち間違いでは
ないだろう・・・

