依頼されて視た幕末の武士たちの前世。
今回、検証が始まってからのアクセス数が、物語自体へのアクセス数を倍以上上回って
いる ことは驚きであり、同時に嬉しい・・!
歴史との整合性という拘りの視点に焦点を当ててくださっているということだろうか・・?
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
さて、半次郎の故郷が現代の福井県敦賀市周辺ではないかという前提に立って、先へ
進 めていくことになるのだがーー私はこの頃すでに、彼が上方へ旅立つビジョンも含め、
物語の全貌を見終えていたーー上方と福井との距離感が判らなくて、そんな 『遠い』
ところへ(福井から見て上方が)、しかも 『徒歩』 で~~? といつものことながら、その
検証結果にすら、疑いを持っていた。
・・地理に疎すぎるのが大きな理由だが・・逆にその方面に詳しい主人に訊ねてみると
『福井と京都は近い』 と即答ーーそして 『鯖街道』 のキーワードが登場する。
さっそく地図と照らし合わせ、そして鯖街道なるものを調べてみた。
Wikipediaより
鯖街道(さばかいどう)は、若狭国などの小浜藩領内(おおむね現在
の嶺南に該当)と京都を結ぶ街道の総称である。主に魚介類を京都
へ運搬するための物流ルートであったが、その中でも特に鯖が多か
ったことから、近年になって鯖街道と呼ばれるようになった。
鉄道や自動車が普及する以前の時代には、若狭湾で取れたサバは
徒歩で京都に運ばれた。生サバを塩でしめて京都まで運ぶとちょうど
良い塩加減になり、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている。
夏期は運び手が多く、冬期は寒冷な峠を越えることから運び手は少な
かったといわれる。 しかし、冬に針畑峠を越えて運ばれた鯖は寒さと
塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされている。運び人の中
には冬の峠越えのさなかに命を落とす者もいた。
京は遠ても十八里
1里 = 約3・9km
十八里 = 約70km 徒歩で2~3日ぐらいでしょうか?
※下記アドレスをクリックして見てください。地図を拡大してしっかり内容を
見ることができます。
