視えたビジョン = 鞠山 が正解であると仮定して、もう一度、安政の大地震を検証してみる。
発生時間帯で絞った3つの地震ーー
まず、福井から最も遠い八戸沖を震源地とする 安政八戸沖地震
wiki情報による震度分布と地震の記録(推定震度)を見ると、この地域が揺れた記録の無い
ことから、この地震であった可能性は消える。
残る2つの地震ーーー安政東海地震 と 安政南海地震 について、同じく震度分布と推定
震度(越前国のみ)を見てみると、以下のようになっている。
安政東海地震(1854年12月23日午前9時)
街道 北陸道 ~ 丸岡(5), 大野(4-5), 福井(5-6), 鯖江(E), 敦賀(5-6)
安政南海地震(1854年12月24日午後4時半)
街道 北陸道 ~ 大野(E), 福井(5), 鯖江(E)
※名称=藩名 ()内=推定震度 E=震度4もしくはそれ以上
安政東海地震 震度分布図
東海(地震 以下東海と記す)に関しては、はっきり 敦賀(5-6)と記録されている。
南海(地震 以下南海と記す)は、藩名は記録されていないものの、鯖江、大野等、ごく
近い藩の記録があることから、こちらの可能性も考えられる。
が、個人的には、東海の可能性が高いと考えている。
飽くまで推測の域を出ないが、以下の記述をその根拠としたい。
安政東海地震-Wikipediaより
被害
被害は関東地方から近畿地方に及び、沼津から伊勢湾岸沿い、特に箱根
から見附あたりの東海道筋で家屋倒壊・焼失が著しく、また、甲府盆地も
被害が甚大であった。家屋の倒壊は、甲斐、信濃、近江、摂津、越前、加賀
まで及ぶ。
南海に関しては、家屋倒壊の記録(この地域の)は見当たらず、地震動に
関しても東海の方がより強く感じられたと記されている。
ことなどから。
東海も南海も、2日連続で発生した地震で、発生時間帯も日中である。どちらであったとしても、
不思議ではないため、朝か夕方かの違いでしかない。
視えた時の感覚を思い起こせば 朝 の方がしっくりくるような気はするーー
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鞠山が現在の福井県にあると知った時、どの地震の震源地からも遠く離れたこの地域が揺れる
ことなどあったのだろうか、と初めは疑問に思っていた。
しかし考えてみれば、3年前の東北大震災でも私の地域(岐阜)ですら揺れたので(震度2~3程
度ではあるが)、不思議ではない。
そして、藩と地震被害を受けた地域が結び付けば、故郷を特定することができるーーと、㉕で
書いたが、この検証により、それは取り敢えず達成できたのではないかと思う・・

