彼女のように、自身でも視えてしまう人だからこそ、漢字は、テレパシー?のようなもので
伝わったのだろうかーー?
彼女の2月23日(日)の記事を引用させてもらうと
・・さて、黒崎や折尾にさしかかるとなぜか「一男、一男」とこだました。
前世の名は「一男」だったのか?
というように、漢字で書かれている。
例会があったのはその1日前、22日(土)で、私はその漢字を知る術は無かった。
そして驚いたことに、聴こえたのはそれだけではなかったという。
記事はこの後
「・・・どげんも、こげんも・・・一男が・・・」・・・一男のおかあさんだろうか??
声なのかなんなのかは解らないけど、入ってきた。
と続く。
例会でも聞いていたこのエピソードは、改めて、見えていなかった部分への扉を開く切っ掛
けとなった。
※余談だけれど、この 『声なのかなんなのか解らないけど、入ってきた。』 は、本当に彼
女には視えて(聴こえて)いたのだということを証明している。
現実の声ではなく、けれど、言葉として伝わるという感覚は、経験した人にしか解らない感
覚だろう。
このせりふ?を記憶に留めながら集中していると、彼女が感じた通り、少年の母 の姿が
視えてきたーー
そして場面は、きらきらと、眩しいほどの陽光に満ちた港 の景色に移っていく・・
