In Russia, Skating Booms Again ③
多くの予算を、フィギュアスケートに注ぎ込み始めた政府ーー
それに引き換え、優秀な選手を育成するためのプロセスは、非常に原初的なものだった。
2008年、才能ある少女を求めて、コーチ達は個々に活動し始めた。
ミーシン(アレクセイ) ーートリノオリンピック(2006年)金メダリストエフゲニー・フルシェンコ
を始め、アレクセイ・ヤグディンなど、4人の男子金メダリストを含む数多くの選手を育てた
名コーチーー
も、ロシアの地方都市の、様々なスケートリンクを訪ねて回った。
ソトニコワのコーチである エレーナ・ボドレゾワ ーー1972年インスブルックオリンピックに
12歳で出場、後、世界選手権銅メダル等獲得。現フィギュアスケートコーチーー
は、CSKAオリンピック・スポーツ複合施設(=オリンピック村 CSKAモスクワ内にある)
に、新しくCSKAクラブを結成、ラジオノワのコーチである インナ・ゴンチャレンコ も加わる
『(クラブを)始めた当初は、オリンピックのことなんて全く、考えてもいなかったわ。』
ボドレゾワは言う。
『とにかく、私達と喜んでトレーニングしてくれる子で、そして、女性らしい美しいスケーティング
といった 私達が描くイメージを体現してくれるーーそんな選手を育てたいと思っただけなの。』
彼女達とは別に、まだそれほど名を知られていない若い世代のコーチ達も現れ、選手を
幼い頃から、技術を確立するまで教え、育て上げている。
リプニツカヤのコーチ エテリ・トゥトベリーゼ(40) も、そんな世代のひとりだ。
1990年代、米国に渡り、アイスショーに出演したり、トレーニングに励んだりした後、1998年に
帰国。モスクワに戻った直後はよそ者扱いされ、悩んだりしたものの、今では、ロシアでもトップ
クラスの選手ばかり揃えるチームを築き上げた。
左:トゥトベリーゼ 右:リプニツカヤ
そのようにして育成されたオリンピック選抜選手達は、しかし、コーチ達の共同作業の末に生み
出されたわけではなかった。それぞれ別々のリンクでトレーニングする選手達ーー彼女ら以上に
コーチ達は 無慈悲なほどの ライバル心を剥き出しにしていた・・・
トゥトベリーゼがリプニツカヤを見出す前のことーーミーシンが、彼女の教え子の一団をごっそり
引き抜いてしまったのだ・・!
『彼は、全ての年代の教え子を、私から奪ってしまったわ!』
トゥトベリーゼはそう言いながらも、次のように明かした。
『でも、あの状況に追い込まれたら、多分私も同じことをしたかもしれない・・』
多くの女子選手達がロシアのスケーティングレベルを押し上げ、規模の大きい競技会は、彼女
達にとって、ひとつでも順位を上げて人より抜きん出ようという場となった。
ーー選手同士にわだかまりは無くとも、親友にはなれないーー
ひとりひとりが、別々のコーチに付いている限り、連帯意識ーーチーム・スピリットは生まれない
のだ・・
To be continued.

