In Russia, Skating Booms Again ②
つい最近まで、多くのロシア人アスリート達(女子フィギュア)がメダル争いに加わるなど、
想像すらできないことだった。
1990年代初頭,、ソビエト連邦が崩壊すると、国の財政も底をつき、国家が運営するスポーツ
選手への育成システムも失われた。スケート場は放置され、それに伴い、フィギュアの経験
豊富なコーチ達も、職を求めて海外へ出国せざるを得ない状況に追い込まれる。
大勢いたスケーターの卵たちの数も減少ーー混迷する経済状況の中、両親はぎりぎりの
生活を維持するため、彼女達にスケートを断念させるしかなかった。
フィギュアスケートで傑出していたロシアの名声は、下降の一途を辿り始める。
ソビエト連邦時代の育成プログラムの下で育った最後のスケーターが引退すると、後継者
としての名乗りを挙げる選手など、ひとりもいなかった・・・。
しかしその “休閑期” は、終わりを告げる時が来た。
安定し始めた経済は、彼女達の両親に、子供たちを再びスケート場に通わせる余裕を生んだ。
5年の間に、地方自治体運営のリンクが次々にオープンーーほとんどが、アイスホッケーチーム
のためのものではあったが、フィギュア・スケートにも使用できた。
フィギュアスケーターや、その家族をサポートするに足る、十分な額の奨学金も、国から給付
されるようにもなる。
『親達が、以前のように、子供をスクールに通わせ始めたの。』
ずっと、少女達の成長を見守り続けてきた、ベテランフィギュアコメンテーターである
タチアナ・フレイド は言う。
『それが、大前提なのよ。才能ある子を見つけるのに、それほど苦労しなくてもすむし、何より、
彼女達は、自ら切磋琢磨 するわ。』
十代の女子フィギュアスケーター達の躍進は、自国でのオリンピック開催であるにも拘らず、
クレムリン(大統領府)の方針による結果ではなかった。
オリンピック施設の建設や、アイスホッケーのような人気の高いスポーツ等に莫大な予算が
割かれる中、政府は、つい最近になって、フィギュアスケートに焦点を当てるようになったのだ。
それはもう著しい額のお金が、わずかにここ、1年半ほどの間に流れ込んできた、と、コーチ達は
口を揃える。
To be continued...
