競技会後のエキシビジョンは好きではないので、あまり見ない。
ひいては、アイスショー等も積極的には見ない。
理由は、スポーツとしてのフィギュアスケートは好きだが、競技と切り離した
エンターテイメントとしてのフィギュアスケートになると、途端にテンションが
下がってしまい、興味が湧かないからだ。
ゆづファンではあるが、たとえファンであってもゆづのEXやアイスショーも、
めったに見ない。
どころか、ひんしゅくを買うだろうが 花になれ などはぞっとする。
本人は、自身も被災者だし、復興を願って演じているのだろうが、私にはーー
誤解の無いように言っておくが、ゆづがそうだ と言っているのではないし、
被災者を揶揄しているのでもないーー
まるで、物乞いと同次元の行為に思えて仕方がないのだ。
ゆづが、こんなプロを演じなければならない理由がわからない。
被災者の生活や未来を考えるのは、政治家の仕事だ。
ゆづには、自分の本分を全うして欲しい、
ゆづは政治家でも聖職者でもない、
いちスケーターなのだーー!
アスリートであると同時に、表現者であるゆづが、一体何を寄り道しているのだ?!
金メダルーー優勝ーー
すれば、日本人は喜ぶ、政治家も喜ぶ。
被災者のために戦う、日本のファンのために戦うーーアスリート達皆そんなきれい事を
言って戦ってきた。
ーーそう言えば誰も批判しない、否、批判できないのだーー
そうして、批判を許さない雰囲気が作られる・・・
勝手な言い分かもしれないが、オーサーの下で学ぶようになってからのゆづのプロには
上達した技術以上の何かを感じることはない。
被災した年の、ハングリーで嵐のようなパッションを・・・
苦しんでいた当時の、身体中から溢れ出るような輝きは、遠い昔の幻・・?
いつでも余裕しゃくしゃくのアスリート?
強くなったよね、スコアを見ればーー
そのスコアと引き換えに失ったものーーそれは、表現者としての魂・・
表現者は常にもがき苦しんでいる。それが真の姿だろう。
今ゆづがしていることは、いかにスコアを1ポイントでも上げることができるかーー
それだけに四苦八苦しているだけ。
ゆづがその道をーーその短命な道を進むと決めたなら仕方がない・・
さらば、ゆづ!だ・・
今日、この2年間溜りに溜まっていたゆづへの思いを吐き出そうと思ったのは、
そのめったに見ないはずのEXを見てしまい、それがあまりにも清々しく美しく、
そして、スケートに対する彼の成熟した思い、一ミリも揺らぐことのない表現者
としての姿勢に感銘を受けたからだ。
彼は、振り付けを自ら行っていて、それは、EXのプロだけに留まらないという、
今のゆづと恐ろしいほど対照的なのだ。
百夜行 という非常に美しい音楽を殺さないーー曲を引き立てはしても、決して
邪魔をしないスケーティングと音楽が見事に調和していて、実に素晴らしいプロ
デュースがなされている。
彼の感性が大きく反映されたこのプロは、彼が単なる国家もしくは誰かの
駒 でないことを示している。
http://www.youtube.com/user/frida340?feature=watch