美容院の新人アシスタントさんの前世で、検証しなければならないことが残っている。
最も気になったのが、前世の女性が恋した京大、もしくは三高の学生らしき人物の歩く側に見えていた
川・・・
京大の名前ぐらいは知っていても、どこに存在するのか、近所の景色がどうなっているのかなど、いっこうに知識がない。
取り敢えず、京大の前身である 旧制第三高等学校 から調べてみることにした。
第三高等学校 (旧制) ~ ウィキペディア
第三高等中学校設立と京都への移転
1886年(明治19年)4月29日、大学分校は中学校令に基づく第三高等中学校(校長:中島永元)となった。同年11月に学区が定められて、近畿・中国・四国にまたがる第三区が設定され、高等中学校を京都に設置することと定められた。これにより京都移転が決定する。
第三高等中学校には1887年に本科が置かれた。また、文部省の告示により高等中学校に医学部を置くこととなったことから、岡山市の岡山県立医学校を第三高等中学校にして編入して医学部とし、1888年(明治21年)4月に開部式が行われた。
1889年(明治22年)9月、大阪市東区(現:中央区)から京都市上京区(現:左京区)吉田に移転が完了し、開業式がおこなわれた。現在の京都大学吉田キャンパスの本部構内にあたる。1890年(明治23年)には法学部を設置した。
三高の設立
1894年(明治27年)6月23日、第三高等中学校は高等学校令に基づき第三高等学校に改組される。第三高等学校には大学予科が置かれず、専門学部(法学部・医学部、新設の工学部)のみを置く学校として発足した。しかし、これにともなって従来の高等中学校の本科・予科はともに解散されることになり、学生たちは「分袂式」を開いて京都を去ることとなった。
三高が専門学部のみの学校として発足したことは将来の大学への昇格ないし拡張を視野に入れたためであるが、この方針はのちに転換され、三高と別個に京都帝国大学が新設されることになる。
1897年(明治30年)4月、三高は大学予科を設置、専門学部のうち法学部・工学部は新規募集を停止して廃絶の方針がとられ、大学予備教育機関となる。
1897年(明治30年)6月、京都帝国大学が設立される。第三高等学校は京都帝大に校舎と設備を譲り、南側の隣接地域(二本松、現:京都大学吉田南構内)を京都府から寄贈されて校舎を新設した。
1901年(明治34年)に岡山の医学部は独立して岡山医学専門学校(現:岡山大学医学部)となった。
現存する遺構
京都大学吉田構内には、第三高等中学校が移転した時期に建築された正門、物理学実験室などが現存している。
現在の京都大学本部構内正門は、1889年に第三高等中学校正門として建設された
1897年以降の三高のキャンパスとなった吉田南構内では、京都大学への包括後に建て替えが進んだ。三高時代の建築物としては正門と門衛所が残る。室戸台風後の1936年に建設された三高本館(2代目)は、戦後に増築を重ねて利用された。1936年に建設された正面(北側)部分は老朽化により取り壊され、2004年に新たな校舎(吉田南総合館北棟)が建設されている。
というわけで、現京大の位置は、設立当初の位置と変わりないことがわかる。
さらに、現在の京大HPに載っている 吉田キャンパスへのアクセスマップ を見てみたら
例の川 の存在が実証できてしまった・・・
鴨川ーー
しかも、キョリ測で吉田正門前あたりから鴨川までの大体の距離を測ってみると、1kmとなり、決してとんでもない距離があるわけではないことも判った。
充分歩いて着ける距離である。
なので、当時の学生が勉強を兼ねて鴨川を散策していたようなことが、あながち非現実的な話ではないと思える。
また、少女の着ていた 紫の袴 に関して
のタイトルで書かれたサイトを見てみると
・・・下田歌子が、宮中における袿袴の切袴をもとに新たに作ったのが女袴のようです。
現在でも学習院中・高に似せた制服が全国の私立学校で見受けられますが、身分制度の色が濃く残っていた明治時代ならばなおさらで、女学生の袴姿はまたたくまに普及しました。華族女学校の袴はカシミア製で色は海老茶。紫がかった暗赤色です。
スタンダードであった海老茶に対して、独自の色彩を主張したのが跡見女学校です。
跡見花蹊は公家屋敷(姉小路邸)内で私塾を開いていましたが1875(明治8)年、跡見学校を開校しました。私塾時代も公家の子女を集めていましたし、当時のことですから生徒のほとんどは華族などの上流階級の子女でした。
跡見学校も女袴をいちはやく導入。その紫色の袴は東京市民の目を引き、海老茶式部に対して「紫衛門」とも呼ばれました。これは平安の歌人である赤染衛門になぞらえたものです。(抜粋)
とある。
女学生の袴が、海老茶もしくは紫色と決まっていたようなので、これについても実証できたように思う。
この前世を見た翌週のことーー京大のiPS細胞研究所長である
山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞を受賞 (2012年10月8日)
するというビッグニュースが飛び込んできたーー。
その前の週の金曜日(10月5日)、仕事帰りに美容室へ行き前世を見ていた私は、なんという偶然--必然?--なんだろうかと驚いたものだ・・・



