日本人選手 男子シングルの表彰台を独占!小塚が金 ~ スケートアメリカ
SPで世界記録を樹立した羽生は銀;町田が銅
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Kozuka tops all-Japanese men's podium in Kent
Hanyu settles for second after setting world record in short; Machida takes third
By Lynn Rutherford, special to icenetwork.com
羽生結弦が、驚異的なSPで世界記録を塗り替えた後、フリーで待っていたのは厳しい現実だった。
3回の転倒、そして首位の座を、同じ日本人である小塚崇彦に明け渡した。
最後に、町田樹が日本人の表彰台独占を完結させた。
『プレッシャーはまったくなかったです。でもプレッシャーを感じないほど緊張していたのか、
あるいはリラックスしすぎてしまっていたのか、それはわかりません。』
羽生結弦はそう口にする。
『ミスはミス。何が良くなかったのか、反省しないといけない・・』
デイヴィッド・ウィルソン振り付けによる“ノートルダム・ド・パリ”。
17才が演じる舞台は、波乱の幕開けとなった。冒頭に予定されていた2種類の4回転ジャンプの転倒から始まり、中盤の3ルッツをしくじり、さらにその後の3ループでは、ひどく倒れこんでしまったーー。
しかし事は、ジャンプ云々より、演技全般を通してほとんど、そしてスピンの時でさえも自分を見失い、心ここあらずといった風にしか見えなかったことの方が問題だ。
フリーでの順位は3位だったものの、最終的にはSPでの大量リードが効いて、トータル243.74得点で2位となった。
『本番前の6分間練習の間、ほとんど集中できなかった。他の選手に目がいったりイライラしたり。いろんな感情が交じって集中できなかった。ステップの始まりですら間違えた。SPで良い出来だった時ほど、フリーがいっそう大事になってくるということがよくわかった。』
コーチのオーサー氏は、責任の一端は自分にあると悔やむ。
『決定的なことは、公式練習の後、ユズルがホテルに戻らなかったことだ。練習後もリンクに居続け、結局最後までその意志を曲げなかったーー。もし私が、彼の首根っこをひっつかんででもバスに乗せ、ホテルに帰らせていたなら、気分一新、身体もリフレッシュした状態で試合に望めたはずだ・・。
あまりにも長くリンクに居たために、体力を奪われてしまった。結果は試合を見れば明らかだ・・。』
