先日、ひきこもり支援相談士の役割は、引きこもっている人を引きこもりから抜け出させることではないと書きましたが、大切なのは、心を解放させることだと思います。


 引きこもっている当事者だけでなく、家族も含めて、「こうでなければならない」という囚われから、解放されることが大切であり、それをお手伝いするのが、ひきこもり支援相談士の最も大きな役割だと思います。


 先日、NHKテレビで、「考えない練習」(だったと思いますが、少し曖昧です)という本が売れていると言っていました。(本は下記)


 考えないでいると自由になれるというようなことだったと思いますが、私が思う「心の解放」に通じるものがあるかもしれません。


 しかし、私は、考えることは大切だし、とても楽しいことだと思っています。必要なのは、「考えない」のではなくて、「悩まない」ことなのだと思います。


 悩みは、多くが迷いであり、心配事です。悩むよりも、とにかく行動に移してみる方が、新しい展開が開けますし、考えるときには、しっかりと考えた方がプラスになります。


 そして、悩みの多くは、自分のことではないでしょうか? 家族や対人関係での悩みがあるという人も、よく自分の悩みの中身を考えてみると、相手のことを通して自分のことを悩んでいる場合が多いのではないでしょうか?


 こんな時も、悩みを二つに分けてみると良いのではないかと思います。例えば、対人関係で悩んでいるとしたら、相手の人はどういう人なのかと考えることと、その人を通して自分自身がどう思われるかなどの悩みを分けてみると、はっきりするように思います。


 相手の人がどういう人なのか、しっかり考えることは今後につながりますし、少しでも分かってくるとおもしろくなります。逆に自分がどう思われるかなどは、考えるより、相手に聞くのが一番手っ取り早いですし、人によって全くちがっています。悪く思う人の多くは、もしかしたら、自分よりももっと良くない面を持っているかもしれません。だから、それはどこかに置いて、前に進んだ方が楽しいですよね。


 話が少し脱線しましたが、「こうでなければならない」、「こうでない自分はだめな人間だ」という囚われの気持ちから解放されて、「これも一つの生き方だ」って、自由な気持ちになれた方が楽ですし、自然に前向きの気持ちもわいてくるかもしれないですね。

考えない練習
¥1,365
楽天

 大人と子どもの大きな違いとは何でしょうか?


 いろんなことを勉強したり経験したりしてきて、大人には知恵やいろんな能力があるので、違いは歴然ですね。


 それでは、心の違いはどうでしょうか?


 大人は、いろんな人に配慮したり、自分のことも相手のことも考えて行動していますから、確かに大きな違いがあります。


 それでは、心の中で、違いのない部分は何でしょうか?


 人を憎んだり、欲望を持ったり、甘えたり、怒ったり、笑ったり、泣いたり、ほとんど変わらない部分もたくさんありますよね。


 心の面で、大人と子どもの違いは、同じ心の部分を覆い隠す鎧をまとっているかいないかの違いが大きいように思います。


 大人は、人を憎んでいても、それを表に現さず、さりげなく相手をかわして関わらないようにしたりします。欲望や怒りなども表には出さず、人と何でもないかのように接しています。


 なぜ、そんなことをするのかというと、相手のためになるという点もあるのですが、それ以上に、自分自身を守る術でもあるのですね。自分の本音の部分、心の内面を覆い隠す、鎧をまとっているとも言えると思います。鎧とは、いわゆる処世術です。


 子どもたちは、処世術という鎧をまとっていないために、大人社会にはなかなか入れず、入るためには、段階を踏んで少しずつ鎧を身につけていく必要があります。



 大人が、子どもの気持ちになって考えると言うことは、大人自身が、鎧の内側にある、自分自身の心の内面をできるだけ良く理解していることが必要なのです。


 社会の中でもまれていると、鎧はますます厚くなって、いつの間にか鎧を着た自分が本当の自分だと思ってしまう人が多いのが現状のようです。特に、会社でもまれている男ほど、鎧は厚くなっているようです。


 それは仕方のないことなのですが、鎧の内側にある、自分自身の生の心を理解することも非常に大切なことだと思います。


 子どもの気持ちになって考えると言うことは、自分自身の心の内面を考えると同じと言っても過言ではないと思います。また、それは、引きこもる人の気持ちを理解することにもつながるのです。


 引きこもっている人たちも、心に鎧を付けていませんから。彼らは、鎧に、ものすごく違和感を感じているのです。

 新しい年になりました。


 年末年始は、実家に帰って、両親の顔を見てきました。何もしなくても、ただ顔を見せるだけで、きっと親孝行なのだと思います。


 年が変わったからといって、特別新しい気持ちで何かを始めようという気持ちはありません。ただ、自分がやりたいことをできる範囲でやっていくだけです。


 自分がやりたいことをするときが、一番本人の力が出るときですね。それは、大人も子どもも一緒です。


 それを、「こうでなければならない」と型にはめようとしたり、「こうしてはだめ」などと否定されたりすると、本来持っているものを出せず、苦手なことを強制されて、ストレスも溜まるし、その人らしさも出ません。


 もっと自由に、もっと自然に、生きていくことが一番大切なことですね。そんなことを、これからも、少しでも多くの人に伝えることができたら、うれしいなと思っています。

 今年もあと2日と6時間ほどになりました。


 あわただしく大掃除や年賀状書きをされている方も多いのではないでしょうか?


 私は、年末年始を生まれ故郷の新潟県で過ごしますので、これが今年最後の記事になると思います。


 30年ほど前、これからの時代は、環境と福祉が非常に重要になると思っていました。その考えは、ほぼ間違っていなかったように思います。


 それに気を強くしてということでもないのですが、これからの10年から20年は、当然、それらも非常に大切なテーマとして考え続けて行かなければならないのですが、もう一つ(というよりそれ以上に)大切なこととして、私は「子育て」を上げたいと思っています。


 「子育て」は、言葉を換えると「親育ち」です。


 少子化が問題視されていますが、それは多くは経済的な問題を懸念してのことです。しかし、どんなに多くの子どもを産んでも、しっかりと育てることができなければ、深刻な問題が一層大きくなっていくと思います。


 現在の子どもたちの状況は、非常に深刻です。増え続ける児童虐待は、2008年度で37,000件以上になっています。いじめも相変わらず多く、内容も深刻です。子どもたちの自殺は、1日に1.4人、孤独を感じている子どもは3人に1人いるそうです。不登校も多く、思春期から引きこもる人たちも非常に多くいます。また、リストカットや非行、大人に理解してもらえず、自分の心が届かない苦しさに、さいなまれている子どもたちも大勢います。そんな中で、自己肯定感の低い子どもたちが増えています。


 これらの状況の改善が、何よりも急務だと思います。そのためには、何よりも大人が、これまでの親子関係や先生と生徒の関係などを見直す必要があると思っています。


 親は、「しつけ」と称して子どもに教え込もうとしますが、親だって未熟なはずです。上に立って子どもたちをコントロールしようとするのではなく、子どもと一緒に学んでいこうとする気持ちが何よりも大切になると思っています。


 また、学校も、子どもたちを教育するのではなく、共に育つ共育の方針で先生がベクトルを合わせ、子どもたちと共に育っていく気持ちで接していくことが非常に大切になると思います。


 失敗を恐れず、何にでもチャレンジしていく子どもを育てるには、まず先生や親、そして大人が失敗を恐れないで、いろんなことに前向きにチャレンジすることです。


 子どもたちが、失敗を恐れずに何にでもチャレンジできるのだと思えたとき、子どもたちはいろんな夢を持てるし、夢のある社会になっていくと思います。


 来年は、そんなことを社会に発信していきたいなと思っています。


 それでは、みなさま良いお年をお迎えください!


 最後に、今回、はじめて写真を掲載しますが、下の写真は、山で撮影したクモの糸に付いた無数の水滴です。自然はすばらしい芸術家ですね。

ひきこもり支援相談士 in 八千代市-クモの糸にできた水滴

 先週の土曜日と今週の水曜日、八千代<ひきこもり>と共に生きる会 のサロンなどに参加してきました。


 若い人たちといろいろ話ができるのは、それだけでも楽しいですね。


 水曜日は、年輩の方とも話しましたが、そんな中で、「わがまま」について、少しだけ話をさせていただきました。


 よく、親(大人)は、子どもに「わがままを言うな」と言います。


 私は、ひねくれ者なのかもしれませんが、大人の視点よりも子どもの視点で物事を考える傾向があります。


 なので、「わがままを言っているのは、どっちなの?」と思ってしまいます。


 人は、人間同士を相対比較します。あの人より、私の方がわがままではないなどのようにです。でも、これを絶対比較すると、全くわがままでないのは、自然だけです。自然の中で生きる生き物たちは、自分が生きるためだけに、他の生き物の命を奪います。贅沢も、生存の欲求以外、どんな欲望も持ちません。


 それをわがまま度0とした場合、人間は例えば、80前後に集まっているのではないでしょうか?


 わがままとは、何でしょうか? そのほとんどは、欲望であり、自己主張ですよね。


 人間の中だけで見ると、生まれたばかりの赤ちゃんが、最もわがままではないと思います。生存の欲求だけしかありませんから。


 それに比べると、大人はどうでしょうか?


 遠くに行きたくて、電車や飛行機を利用する。生きるための最低限度のお金以上のものを稼いでもさらにもうけて、贅沢な暮らしをしたいと思います。これら、すべては贅沢であり、わがままですね。子どものわがままなんて、本当にかわいいものです。


 このように見つめる視点を変えると、いろんな見方ができます。当たり前だと思っているその中に、たくさんの間違いがあるのではないでしょうか?