先日、ある方から、ひきこもり支援相談士の活動は、引きこもっている人を引きこもりから引き出すことが目的でしょうと言う感じのことを言われました。


 でも、引きこもりから引き出すことは決して目的ではありません。


 このことは、人の気持ちをよく考えると分かることなのです。


 こちらが引きこもりから出そういう気持ちで、引きこもっている人と接すると、彼らはそのことを敏感に感じ取ります。引きこもりから引き出そうという気持ちがあるということは、「引きこもり」を否定していることであり、引きこもっている人を否定する気持ちがあるということです。


 人は、誰でも、自分のしていることを否定されたら、怒ったり、警戒したり、心を閉ざしたりします。私も、いきなり、「あなたのやっていることは間違いですよ。こうしなければならないですよ」などと言われたら、「あなたに言われる筋合いはない」と怒る気持ちがわいてきます。


 引きこもりから出るかどうかは、彼ら自身が判断し、行動することです。


 私たちがまずしなければならないことは、彼らの言葉にしっかりと気持ちを傾け、彼らが安心して自分の気持ちを表すことができるようにすることなのです。


 引きこもっている人が特別なのではありません。心の内面は、みんな同じです。自分が安心していられる場所、本音で話のできる人、あるがままの自分でいられるところを、誰もが求めています。


 そのことを理解できるようになることは、とても大切なことだと思います。

 以下の文章は、我が子が引きこもっている親の人たちの会にお送りしたら、代表者の方が会員の方たちに送ってくださったものです。もう5年前のものですが、間違ってはいないと思いますので、長い文章ですが、よろしければお読みください。なお、一部、不要の箇所を削除したり、修正したりしています。


 財団法人モラロジー研究所が発行している『人を育てる「愛のストローク」無条件のふれあいで子どもは変わる』という本に出会い、読んだところ、もしかしたら引きこもりのお子さんを持つ親御さんにとって参考になるかもしれないと思い、この本を読んで私なりに思ったことを少し書かせてください。若輩者が生意気を言っているだけかも知れませんが、もしかしたらヒントになる方がいるかも知れないのではと思っています。

 この本に、条件付きストローク(ストロークというのは、接し方とか相手を認めるという意味です、条件付きはある条件を満たしたら認めてあげるような接し方です)と無条件ストローク(どんな状況でも無条件に相手を認める、愛するという接し方です)のことが書いてありますが、これまでの世の中は、条件付きストロークが一般的だったのではないかと思います。高度成長期に入るまでは、無条件ストロークと条件付きストロークは、ほどよくバランスしていたのではないかと思いますが、頑張ることで多くの収入を得て、物質的に豊かになるにつれて、頑張るという条件付きのストロークが多くの方から支持され、それを実践してきたのがこれまでの日本社会だったのではないでしょうか?

 条件付きストロークが豊かさを生むために、無条件ストロークをどこかに置き忘れて来たのではないかと思います。そのような状態では、人の心の内面まで心を向けることができなくなってしまいます。ですから、これから無条件ストロークとは何かをよく考えて、それを大切にし、実践していくことで何かが開けるのではないかと感じました。

 また、親御さんの気持ちとして、何とか引きこもりから脱出させたいという気持ちをお持ちだと思います。これは、当然のことだと思います。
 ただ、「引きこもりから脱出させたい」という気持ちの中には、「引きこもりは良くないこと」という思いがあるように思います。これは今までの常識からしたら当然のことです。ですが、「引きこもりは良くないこと」という思いを持っていることは、心の奥深い部分にお子さんの今の状態を否定する気持ちがあるのではないかと思います。その気持ちは、繊細な感受性を持っているお子さんには、敏感に感じられるのではないでしょうか?


 私は、こう思うのです。世間一般の人たちが、条件付きストロークを用いて子どもたちを育ててきたはずです。ですが、今現在、問題は起きていないように見えます。

 ですが、本当にそうだろうかと思うのです。たまたま今は、表に現れていないだけで、今問題を起こしていないお子さんが親になった時、もっと大きな問題を抱えてしまうのではないかと思うのです。このように思うことは、これからの世の中を考えた時、お先真っ暗になってしまいますが、そうなる可能性は非常に高いように思います。

 そう考えた時、今、お子さんが引きこもりや不登校などで親御さんに抵抗している状態を経験できたことは、親御さんにとってとても大切な経験をさせてもらっているのではないでしょうか? お子さんの引きこもりを問題視し、そこから引き出そうとするよりも、その前に、貴重な経験をさせてもらっているという感謝の気持ちを持ってみてはどうかと思います。

 そして、お子さんから深く考える機会をもらえたのですから、無条件のストロークと共に、感謝の心とは何か、思いやりの心とは何か、優しさとは何か、愛とは何か、素直さとは何か、勇気とは何か、お金とは何か、仕事とは何か、そして人間とはいかに生きるべきか、親御さん自身が初心にかえって、もう一度、それらのことを考えてみてはいかがかと思います。それらの問いかけは、決して答えなどありません。ですが、その限りなく広く限りなく深い無限の領域ですが、考えれば考えるほど、少しずつ近づいていくのではないかと思います。問題が表面化していない家族より、早くこういう機会を経験できたことで、問題を最小限で抑えられるのかも知れません。


 以上、勝手なことを書かせていただきました。考え方や受け止め方は、人それぞれですから、あくまでもこんな見方もあるのかという程度で受け止めていただけたら幸いです。私自身、いつもいろんなことにぶつかりながら考えています。そんな中で、例えば「私はあなたに感謝の気持ちを持っています」という人がいますが、この方は残念ながら感謝の気持ちとは何かを知らない方だと思うのです。なぜなら、感謝の気持ちを持つということは、持ったその人自身が幸せな状態なのに、それを人に主張するようなものではないはずなのです。私自身、どんなに人に感謝の気持ちを持ったとしても、気づくことのできない相手の優しさがあるはずなので、感謝しきれないと思っています。そして、どこまでも深い感謝の気持ちを持てるようになりたいと、自己研鑽していきたいなと思っています。

 引きこもる人の親御さんだけのことではないのですが、よく、講演などでいろんな先生が、「親が変わることが大切だ」と言うと思います。しかし、「変われと言われても、どのように変わったらよいのか分からない」とか、「変われと言われても、変われるものではない」と思う親御さんが多いのが現実です。


 変わるということは、決して簡単なことではありません。変われと言われて、それでは早速と変われる人など、皆無といっても良いでしょう?


 ただ、変わらなければ、我が子も変わりません。


 「変わる」ということをどのように捉えたらよいのでしょうか?


 私は、「原点に返って、いろんな視点から考える」ということと捉えてみてはどうかなと思います。


 例えば、いつも暗い感じのする人がいます。その原因を考えてみると、どうしても、いろんなことを前向きではなく、後ろ向きで考えてしまう癖があるからではないだろうかと思います。


 物事の考え方というのは、無数にあります。前から見たり、後ろから見たり、横から見たり、いろんな角度から見ることができます。


 例えば、円筒形のコップがあったとします。これを上から見れば、「コップとは丸いものだ」と思うでしょうし、横から見た人は、「コップとは長方形だ」と思うのではないでしょうか? 斜めから外形だけを見た人は、「薬を入れるカプセルのようなものだ」と思うかもしれません。そのように、物事の見方というのは、無数にありますし、無数にあることを知ることが大切ですね。


 いろんなことを後ろ向きで考えたり、否定的に考える人は、どうしても、一方向からしか考えていない場合が多いように思います。こちらがいろんな話をしても、「そんなことを言ったって、これはこうなのよ」という感じで、決めつけてしまいます。


 一つに決めつけるよりも、「他の考え方はないだろうか?」と考えてみる方がおもしろいと思いませんか?


 一つの方向から見たら、自分に不利なだけだとしか思えなかったことが、逆に自分を有利に導いてくれるかもしれないと思えることも、実はたくさんあるのです。


 典型的な例は、大嫌いな上司をどう見るかということです。自分で何もせず、自分ができないことを部下に押しつける上司もいますね。そんな上司の部下でいたら、ストレスばかりが溜まって、いつもむかむかしていなければならないですね。


 でも、そんなとき、その上司を他の角度から捉えてみることはできないでしょうか? 上司の人間性をもっと良く分析してみたり、上司の過去の育てられ方を考えてみたり、上司に使われるのではなく、逆にどうしたらうまくその上司を使うことができるのか考えてみたり、他にもいろんな視点から考えてみると、上司のことがよく分かるようになると思いますし、そのことを通じて、自分自身が成長できるように思うのです。そうなると、上司は自分のため(自分を成長させてくれる)になってくれた人になりますよね。


 そのように、いろんな視点から考えることによって、次第に人は変わってくるように思います。否定的な見方だけでなく、前向きにも見ることができたのだなとか、落ち着いて物事を見つめることができるようになるかもしれません。引きこもりに関して言えば、引きこもることは、マイナス面だけではないなというように、次第に変わってくるように思いますが、いかがでしょうか?

 我が子が引きこもってしまうと、親御(ご家族)さんにとっては、我が子の将来を夢見ていた天国から、地獄に突き落とされたような気持ちになると思います。苦しんでいるのは、引きこもっている当事者だけではなく、親御さんも全くといって良いくらい、同じように苦しんでいます。当事者にとっては、親を苦しめていることが、また苦しみになってしまうのですが・・・・・。


 しかし、我が子が引きこもったことによって、これまでの生き方、考え方が良かったのかなどを、見つめ直す機会をもらっていると捉えることもできます。


 「とにかく生きるためには、働かなければならないのだ。働いて、お金を稼がなければ、世間並みの生活ができない。結婚して、子どもを産み、子どもを立派な学校に通わせて、立派な企業に就職させる。そして、幸せな結婚をして、幸せな家庭を築き、子どもを産み育てる。」という、幸せの方程式を、これまでの大人のかなり多くは、疑うことなく、信じ続けていたのではないでしょうか?


 この幸せの方程式には、あるがままの自分、あるがままの我が子を大切にするということが全く抜けています。


 子ども(子どもだけでなくて、多くの大人も同じです)は、あるがままの自分を受け入れてもらって、はじめて安心して、失敗を経験したりしながら成長していきます。


 我が子が引きこもらなかったら、これまでの過ちを考えることすらなかったかもしれません。


 引きこもる我が子を通して、人としての本来の生き方を考えるきっかけをもらえたと捉えられないでしょうか?


 このように捉えると、引きこもる我が子に感謝する気持ちにさえなれると思います。


 子どもの意見に耳を傾けなければならないといって、形だけ傾けても、子どもは取り合ってはくれません。子どもへの感謝の気持ちを持って、学びたい、学び合いたいという気持ちで、真剣に我が子と話し合えるようになると、固く閉ざされた心が、少しずつ開かれてくるのではないでしょうか?

 引きこもる人たちは、さまざまなことを考えています。


 世の中を見ていると、あまり深く考えず、とにかく行動を起こす人の方が、多いように思いますし、世間の中を渡り歩くには、確かにそれが必要なのかもしれません。


 しかし、私自身が考えることが好きということもありますが、いろんなことを深く考えることは、いろんな可能性を生み出すため、私は大切なことだと思います。


 だから、引きこもりの人たちがいろいろと考えていることは、私はこれからの可能性を秘めていると思います。


 ただ、考えることにもいろいろあって、引きこもる人たちの多くは、社会と接していないこともあって、自分のことばかり考えているのではないかと思います。


 私は、すべての人は、幸せになるために生きていると思うのですが、自分のことばかり考えていると、どうしても幸せにはなれないように思うのです。


 考えるというすばらしい行為を、自分ではなく、外部、いわゆる社会や人のために向けたとき、新しい可能性が広がり、きっと幸せにつながっていくと思います。


 引きこもる人たちと、こんな話もしてみたいなと思っています。