『ポスト戦後日本の知的状況』木庭顕 (講談社選書メチエ798 2024年) | alp-2020のブログ

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読書ノートその他
ギリシア哲学研究者の田中美知太郎は、その著書『ロゴスとイデア』に収められた論文を、”対話者の登場しない対話篇”として書いたという。私も、そんな風に書くことができればよいと思う。

戦前期、戦後期、ポスト戦後期における日本の知的状況を叙述する本である。本書を読むには同じ著者の前著を読む必要があると書いてあり(「はしがき」)、のっけから私には無理と思われるが無理やり通読してみる。

 

夏目漱石『三四郎』の登場人物 佐々木与次郎を一つの典型とし、上記各時代に与次郎的知識人の族生を見る。

与次郎はいつの時代にも権力の周辺をうろつき、その中枢に参入しようと投機的行動に走る。与次郎を生み出すのは脆弱な市民社会である。市民社会の脆弱性はクリティックの欠如または不全にある。AかBかを選択するとき、A、Bへの吟味がない。AまたはBを選んだとき、その選択の論拠への吟味がない。このため信用が成り立たない。

 

こうして与次郎は定見がない。逆張りをする。大学の授業はつまらないから、小さんの落語を聴けという。授業よりも図書館がいいという(与次郎本人は滅多に図書館に姿を見せない)。果ては他人を利用して権力に取り入ろうとする。こういう人間は市民社会をかく乱し破壊してしまうものである。

 

脆弱な市民社会が与次郎の培養器になるとして、すべての人が与次郎になるのではない。著者自身も多くの例外の存在を認めている。

 

一部の人はどうして与次郎になるのか。与次郎の側の動機は何なのかと思う。

『三四郎』の与次郎は東大生といっても「選科生」である(著者はなぜかこの点には触れていない)。三四郎が図書館で与次郎の姿を見かけることが滅多になかったのは、当時の選科生は図書館利用を制限されていたからではないか。

 

三四郎や与次郎より一回り年長である哲学者 西田幾多郎(1870年生)は東京帝国大学(東京文科大学)の選科生であった。西田が在学当時の東大は、選科生が図書館閲覧室を利用することを許さず、選科生は閲覧室外の廊下に置かれた机で勉強させられたという(西田幾多郎「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」)。与次郎が入学したころの東大は、このような選科生に対する差別待遇は多少緩和されていた可能性はあるものの、与次郎より少し後の世代と思われる作家 菊池寛(1888年生)もまた、京都帝国大学選科生時代に「絶えず屈辱を感じていた」と回想している(菊池寛「半自叙伝」)。

 

市民社会はクリティックを欠いているが、差別の構造はある。

戦前には(上)本科生、(下)選科生、今は(上)東大、(下)「Fラン大」の序列があり、大学組織では(上)テニュア教員、(下)ポスドクの序列がある。これらの中でメリトクラシーの恩恵に与れそうにない序列下位の層が「憤激」して、与次郎のように投機的行動に走り権力を志向する(一発逆転)とも思われるのだが、著者が与次郎として特定する田邊元や三木清は序列下位どころかヨーロッパ留学経験もある超絶エリートである。

 

与次郎タイプの人間を考えるとき、私などはルサンチマン説に傾きがちだが、病根はクリティク欠如にあり、より根深いということなのだろう。

著者は、ルサンチマンに共感を寄せる藤田省三を批判する。藤田の姿勢は「裾野の闇に生き残っている与次郎に感化されて」いるから「クリティックが効かなくなる」。与次郎が生えてくるのは土壌そのものが瘦せているからであり、与次郎をもぎとってその正当性をいくら検証してみても問題の根には触れないということなのだろうか。