alp-2020のブログ

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読書ノートその他
ギリシア哲学研究者の田中美知太郎は、その著書『ロゴスとイデア』に収められた論文を、”対話者の登場しない対話篇”として書いたという。私も、そんな風に書くことができればよいと思う。

 

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 オレンジ売りを辞めて手配所に戻る。

 送油管置き場に派遣される。

 送油管置き場の持ち主であるユダヤ人・シャピロと親しくなる。

 ユダヤ人の歴史に興味を持つ。

 顔に書かれた象形文字は、その人の全ての秘密を開示する。

 しかし解読できる人は少ない。ユダヤ人は解読の鍵を持っている。

 シャピロに薦められてルナンの本を読むようになる。

 送油管置き場で二年間働く。

 このまま働き続けようと思ったが、シャピロが死んだ。

 金を使い果たすまで一年間休むことにする。

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 本章では、エリック・ホッファーのユダヤ人とその歴史に対する関心、エルネスト・ルナンへの傾倒のきっかけが語られる。

 ホッファーはオレンジ売りの仕事を辞めても仕事に困ることはなかったと書いている。彼の真面目な働きぶりを評価した幾人かの雇い主が、ホッファーを指名することがあったからである。ホッファーは電話を持っていなかったため、雇い主からホッファーへの連絡は、手配所の事務所に電話をし、手配所のベンチに座っているホッファーを呼び出してもらうという形をとった。

 ホッファーはある日、他の労働者とともに送油管置き場に派遣され、雇い主のシャピロという男と親しくなる。シャピロは、大学教育を受け、アカデミシャンとしてのキャリアを積もうとしていた人物である。しかし、死んだ叔父の遺産である送油管置き場を相続したため、学者の道を断念し、石油販売業者に中古の送油管を売る廃物販売業を始めたのである。

 ユダヤ教徒の断食日である「贖いの日」(Yom Kippur)が休業日となることから、ホッファーはシャピロがユダヤ人であることに気づく。シャピロと知り合ったことが契機となって、ホッファーはユダヤ人に関する本を読み始める。

 読書と、シャピロとの会話から、ホッファーは自己のユダヤ人像を形成して行く。

 ホッファーは以下のように書いている。

 「ユダヤ人が特殊な人々であることを私は知った。ユダヤ人は神を発見した。そして歴史におけるユダヤ人の役割は、彼らの数に釣り合わないものであった。他の神々と異なり、ユダヤ教の神は偶像的な貴族ではなく、激しい労働をする親方職人であった。このような神を崇拝し、模倣しようとした西洋においてのみ、機械の時代は生まれ得たのである。」

 

 シャピロはホッファーのこのような考えを喜び、それを文章に書くように、ホッファーに薦めたという。

 

 「私はシャピロからユダヤ人の話を聞くことを好んだ。ユダヤ人は最初から読み書き能力のある人々であったということを、彼は言った。読むことができないユダヤ人はいたためしがないというのである。そのような社会においてのみ、イエスとその使徒たちのような平凡な労働者が新しい宗教を創始することができたのだ、という考えが、私に浮かんだ。」

 

 「きわめて古い民族であるユダヤ人は、人間の顔に現れる象形文字を解読する優れた能力を持っていた。人が何を行い、何を考えようと、それはその人の顔に刻まれる。人間の顔はその人の全ての秘密を開示する開かれた書物である。しかし、そこに書かれている象形文字は、数少ない人々のみが、それを読み解く鍵を持っているのである。私のユダヤ人への関心は、年とともに大きくなって行った。」

 

 シャピロが、自分の経営する送油管置き場に派遣されてきた労働者たちの中から特にホッファーに着目したのは、シャピロがホッファーの顔を読んだからであろうと、ホッファーは確信している。

 ホッファーはシャピロから、エルネスト・ルナンの『イスラエル人民の歴史』という浩瀚な書物を借りて読む。ルナンの歴史家としての評価は高くはないが、ルナンの洞察は現代にまで届く射程を持っていると、ホッファーは評価している。

 ホッファーが送油管置き場で働き始めた二年後の1930年、シャピロは肺炎で死んだ。シャピロの死は決定的な転回点であったと、ホッファーは書いている。ホッファーはこれを機に、求職のための手配所通いを止め、これまでの貯えを使い果たすまでの一年間を、人生の残り時間で自分が何をすべきかを決めるために使おうと決心するのである。

 

 仕事・読書・独学という生活のサイクルは、ホッファーの言に従えば、彼の生涯を通じて一貫しているようである。晩年には「仕事」が消え、読書と独学が残る。本を読み、カードに抜き書きをし、その内容について自分の考えをまとめる。かつて働いた自分の汗の匂いが残るドックを見下ろす高層階のアパートに住み、3×5インチの読書カードに手書きで書きつけた様々な本からの「引用との対話」を続ける晩年のホッファーの姿を、Tom Bethellは書いている。また、ホッファーは晩年に至っても電話を持たなかったという。

 こうした生活習慣は、本書を読むと1920年代には既に身についていたようである。ホッファーは「書記」、「筆記法」について『変化の試煉』で書いている。ペンを持ち、紙に文字を丹念に書きつけるという、ホッファーの生涯を支配した動作はまさに「書記」のそれである。ホッファーは「書記」=scribeという言葉に特別の感覚を持っていたように思える。

 本章では、読むこと・書くことのほかに、「顔」について述べられている。「人が何を行い、何を考えようと、それはその人の顔に刻まれる。人間の顔はその人の全ての秘密を開示する開かれた書物である」。しかしホッファー自身が他人の顔を注意深く見るようになるのは、もう少し後の1934年、エル・セントロの州立浮浪者収容施設における渡り労働者たちの観察においてである(『変化の試煉』第16章)。

 本書『構想された真実』はホッファー最晩年の1983年に出版された本であり、執筆時期は1980年代に入ってからであると思われる(本書では、第10章でエル・セントロでの渡り労働者観察に関する記述が出て来るが、これは1963年出版の『変化の試煉』第16章を殆どそのまま再録したものである)。本章における「顔」に関する記述は、後年になって得られた考えであり、その時点でのものではないと思われる。シャピロについても、「小柄で活発」な男としか描写されていない。シャピロがどのような顔の持ち主であったかはわからない。

 その日その日の労働・読書・独学・本からの抜粋・思索という日々の生活サイクル、生涯電話を持たないという生活スタイルは、ホッファーの一貫した人間像を示しているように見える。しかし全てが事実であるとは言い切れない。ホッファーが過去を振り返りつつ、意図的に一貫性のある思想家としての自己像を構成している可能性は捨てきれない。

 ここで、ほぼ確実な事実であろうと推定できるのは、ホッファーが遺した膨大な読書カードである(Tom Bethellはホッファーの部屋を訪ねた際、その存在を確認している)。読書カードの作成は、相当長期間にわたって継続されたであろうことは容易に想定できる(読書ノートの習慣については、第3章で述べられている)。

 なお、現在、ホッファーの遺品(読書カード、日記、草稿類など)は、Hoover Institutionに保管されている。

 

参照文献

Tom Bethell “Eric Hoffer  The Longshoreman Philosopher” Hoover Institution Press 2012