2023.3.21 | alp-2020のブログ

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読書ノートその他
ギリシア哲学研究者の田中美知太郎は、その著書『ロゴスとイデア』に収められた論文を、”対話者の登場しない対話篇”として書いたという。私も、そんな風に書くことができればよいと思う。

「近代化論は、戦後民主主義の諸価値から経済成長に評価の重点を移すことで戦後民主主義の貶下→消極的否定という役割をはたしたが、しかしそれはあらたな国家主義への積極的献身の論理とはなりえない。あらたな国家主義への献身の論理はどこから出てくるか? そのもとへどうやって民衆を説得すればよいのか? この難問の前に支配階級はいらだっているといえよう。」(安丸良夫「反動イデオロギーの現段階」『<方法>としての思想史』法蔵館文庫 2021年)

 

近代化論はマルクス主義に対抗して1950年代に台頭した保守=右翼のイデオロギーであり、日本の近代化=産業化に積極的な価値を認め、日本の過去を肯定的にとらえようとする立場である。ここでは日本の近代化過程の背後にある諸矛盾は無視または軽視される。国際社会を力と力の闘争場と見る、加藤弘之以来の実力説に立ち、平和主義や人権思想は甘やかな幻想として切り捨てられる。

 

今に続く日本人の平和や人権に対する何となく冷笑的な態度は、保守=右翼知識人たちの近代化論によって定着させられたとも思えるのだが、反面、彼らは「あらたな国家主義への積極的献身の論理」の形成に失敗している。その長きにわたる思想的空位の成れの果てが、現在の冷笑主義、歴史修正主義、排外主義etcなのではないか。