当たり前のありがたみって失わないとわからないもの | 【鹿児島⭐︎動物病院から】飼い主さんとペットの絆を深める心の持ち方接し方を提案 獣医師 浜崎菜央

【鹿児島⭐︎動物病院から】飼い主さんとペットの絆を深める心の持ち方接し方を提案 獣医師 浜崎菜央

鹿児島で動物病院を経営しつつ、飼い主さんがペットに1つでも多くできることを提案できる場として、ペット関連のイベントや講演をしています。
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当たり前のことって当たり前すぎて、

 

感謝することってあまりないもの。

 

私は自分がガンになり手術後、排尿障害がひどくて、

 

なかなか退院することができませんでした。

 

 

元気なときは、

 

「トイレ行きたい」

 

と思ってトイレに行けば、当たり前だけど、しっかり排尿してスッキリして過ごせてた。

 

でも、手術後は、

 

「トイレ行きたい」

 

と思ってトイレに行って、しっかり排尿したつもりでいても、

 

膀胱の中には、おしっこが半分以上残っているという状況。

 

本人は、残ってるっていう感覚・・・残尿感はゼロ。

 

 

 

その時に、当たり前にしていることにどれほど感謝したことか。

 

できなくなって初めて、

 

当たり前にできることに心から素晴らしいって思ったし、

 

できることに感謝もしました。

 

 

 

それと同時に、

 

「私はまだ恵まれているほうだ」

 

とも思いました。

 

同じ手術をした人の中には、

 

「トイレに行きたい」という感覚すら失う人もいるのだから・・・

 

 

だから、できていることを心から感謝するようになりました。

 


 

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(見た目普通でも、ガンのオペ後の後遺症を2,3つ抱えている私…でも幸せものだ)

 

当たり前のことってたくさんありますよね。

 

生きていることだって当たり前だと思って、なかなか感謝することもない。

 

失ったときに初めて、

 

ありがたみを知ることになったり、

 

不自由さを実感したりするもの。

 

み〜んな誰しも、こんなふうだと思うのです。

 

何か自分の身に起きたり、周りの人に起きたりしない限り、

 

改めて考えることってないもの・・・

 

 

 

私は、鹿児島で補助犬への理解が深まるように活動をしてきています。

 

 

その中でも、

 

当たり前すぎて、ピンと来ないのかもしれないな・・・

 

と思うことがあります。

 

 

 

どういうことか???

 

 

 

「補助犬って3種類あって、

 

目の不自由な人をサポートする盲導犬

 

耳の不自由な人をサポートする聴導犬

 

手足の不自由な人をサポートする介助犬

 

っているんです」

 

 

と話すと、

 

 

「目が不自由な人の大変さはわかるけど、耳が不自由な人ってそんな困るかな」

 

と返ってくることがあるんです。

 

 

メディアの上層部の人でも、取締役という名の人でも、

 

そう返答があったこともありました。

 

(一番伝えていってほしいメディアの人の一言がショックで1週間ほど立ち直れなかったっけ・・・)

 

 

 

その瞬間、いつも、

 

 

聞こえることが当たり前すぎて、

 

音が聞こえないってどんなに不自由なことか

 

ピンと来ないんだろうな・・・

 

 

聞こえることがどんなに大事なことか、

 

耳が遠くなったり、聞こえなくなって、

 

初めて理解できるのだろうな・・・

 

 

と思うのです。

 

 

 

不自由さがわからないと、聴導犬の必要性もわからないはず。

 

 

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(聴導犬レオン。仕事中、凛としてカッコイイ。)

 

生まれつき聞こえない人にとって、

 

音の確認ができないことから、

 

音を発することも難しいのです。

 

だから、言葉を話すというのがどれだけ大変なことか・・・

 

そのことも、生まれつき聞こえる人にとっては、想像できないことだと思うのです。

 

 

 

そして、普段私たちはいろんな音を聞いて、自然と聞き分けをしているんですよね。

 

いろんな音が聞こえる中で、

 

自分に必要な音だけを自然と聞き分けて生活している。

 

 

後ろからクラクションを鳴らされて、自分のことかな?と確認したり、

 

いろんな携帯がなっていても、自分の携帯の音だけを把握することができたり・・・

 

 

朝起きるためにセットした目覚ましの音や

 

自分がセットしたタイマーがなった音や

 

自分が片付けようと思ったけれど、バッグから落ちた音

 

 

火事や事故などのサイレンの音

 

避難勧告の音

 

 

いろんな音を聞いて、

 

自分に必要な音か、関係のある音か、自然とチェックしながら生活しているもの。

 

 

当たり前にそうしているから、

 

こんなに耳に頼って生活をしているということに気がつかないもの。

 

 

 

耳が遠くなって、聞こえてた音が聞こえなくなった時に、

 

きっと不安に思うのでしょう。

 

そして、音が聞こえていたことに感謝するのでしょう。

 

 

それと同時に、

 

聴導犬の存在のありがたさを知るのでしょう。

 

 

 

介助犬についても同じことが言えるのだと思います。

 

 

 

誰もが、当たり前のことを当たり前と思わず、

 

失ったとしたらどうなるだろう?

 

もしこうだったら便利だと思うんだろうな

 

と考えてくれるようになったら、

 

 

自然と補助犬の受け入れは増えていくのだろうな

 

と思っています。

 

 

イベントなどでお話をするときに、

 

決まってこのことをお伝えしています。

 

 

みんながみんな、

 

不自由さをパッと思いつくことができないから。

 

 

不自由さがたくさん思いつけば、

 

それならそれをサポートしてくれる人やサポートしてくれる犬がいるってありがたいことだよね

 

って思えるはずだから。

 

 

 

 

先日、初めてお邪魔させてもらう居酒屋さんに予約を入れるときに、

 

「聴導犬も一緒なのですが、大丈夫ですか?」

 

と言ったところ、

 

即答でオッケーだったんです。

 

 

お店に行って、

 

「どうして即答でオッケーだったんですか?」

 

と尋ねたところ、

 

?という顔をされました。

 

 

「飲食店だから、衛生面のことからちょっと・・・って言われたり、

 

他のお客さんのこともあるので・・・って断れられることもあるんですよ。」

 

と続けて説明すると・・・

 

 

 

「だって不自由な人をサポートする犬でしょ?

 

 困っている人がいたら助ける。

 

 当たり前のことです。

 

 受け入れるのは当然でしょう。」

 

と返されたんです。

 

 

当たり前のことなんだけど、

 

こう返してくれたときに、

 

思わずみんなで拍手しちゃいました。

 

 

 

みんながそんなふうに思ってくれたら、

 

補助犬受け入れ拒否は減っていくと思うのです。

 

 

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(同級生の友達が聴覚障害者だったから不自由さがすごく分かる分、受け入れを万全にしたい!と行ってくれた店長さんもいた)

 



当たり前のことを感謝する気持ち・・・

 

どんな場面でも必要だと思っています。