身体のむくみもとれず、点滴に薬づけの日々。

そして母乳が溢れだす。それと同時に涙も溢れだした。私は3人目ですが、これまではミルクがメインでした。今回は絶対に完母にしたいと思っていました。その思いも届く事なく、薬で母乳をとめるなんて・・・

病室のドアをあければ、温かく幸せな時間が流れているであろう。赤ちゃんの泣き声が胸をさす。耳をふさいだ。


それから私は何でこんな事にならなくてはいけなかったのか?何か無理してしまったのか?運が悪かったの?大殺界だから?天中殺だからとあれこれ探った。そして携帯を手にとり、私と同じ思いをしている人を探した。
今日は雪がすごいですね。パートの仕事を休んでしまいました。皆さんも温かくして過ごしてくださいね。



手術中は出血量が多く、貧血にもなり、ものすごく寒くガタガタ震えがとまらなかった。お腹の痛みはなくなったが、それと同時に大切な人を失ってしまった。


手術が終わり一番端の部屋へ

体温調節ができない私はガタガタ震えがとまらない。そして体は風船の様に膨れ自分の意思では微動だにしない。爪や手の色も見たこともないほどに白い・・・暗い部屋で泣くしかなかった。それも遠慮がちに声をあげずに。
看護師さんは泣きたいだけ泣きなさいと!
それが精一杯の言葉だったのでしょう。


私の部屋は寒いのではなく冷たかった。
昨日の続きになります。

看護師に連れられ病室がある2階へ。病室を掃除しているからと、しばらく待たされた。あまりの痛さに声も出せない感じでした。やっと病室に入り、助産士さんがドップラーをつけましたが、心音がとれません。何度やってもさっきまであった心音が聞こえないのです。助産士さん達は急に慌てはじめ、先生をよびました。超音波の機械が運ばれ心音を見つけますが、ありません。先生はさっきはあったよね?と・・・お腹で何が起きてるかわからないけど、とにかく私の命が危ないと緊急の手術をしなけるばならないと。私の頭は今の現実を受け止める訳もなく、そんな訳ない、何かの間違いだと。だって何分が前まで娘は生きていた。生気を失い呆然としながら、看護師さんに支えてもらい歩いて手術室へ。だか途中貧血になりフラフラの状態になりました。それから手術同意書に拇印をおされ、手術しました。意識が朦朧としながらも先生の声が聞こえてきます。産声はありません。娘は産まれました。私達の3人目の子として。胎盤早期剥離でした。命綱の胎盤がすべて剥がれていたそうです。娘にどれだけ苦しい思いをさせてしまっていたのだろうか。それに気づいてあげれるのは私だけなのに・・・