(以下、スポニチアネックスニュースより)
男子ゴルフツアーのカシオ・ワールドオープン最終日は1日、 高知県安芸郡芸西村の
Kochi黒潮カントリークラブ(7316ヤード、パー72)で最終ラウンドが行われ、
松山英樹(21=東北福祉大)は4バーディ2ボギーの70で回り、
通算12アンダーで今季4勝目を挙げて
最終戦の日本シリーズ(5日開幕)を待たずに賞金王を確定させた。
地元で賞金王を決めた松山は「中学、高校と練習させていただいたコースで優勝できて、
そこで賞金王を決められてうれしい。ここまで勝てるとは思っていなかった」と笑顔。
松山は4月にプロ転向したばかり。ルーキーが賞金王に輝いたのは史上初めて。
また、新人の年間4勝は81年の倉本昌弘の最多記録に並び、
年間2億円突破は尾崎将司(94、96年)、伊沢利光(01年)に次ぐ史上3人目と、
記録ずくめの1年となった。
1打差の2位に池田勇太、さらに2打差の3位に小田孔明が続いた。
石川遼は通算1オーバーの26位に終わった。
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(以下、サンケイスポーツニュースより)
カシオワールドオープン最終日(1日、高知・Kochi黒潮CC=7316ヤード、パー72)
単独首位で出た松山英樹(21)=東北福祉大4年=が70で回り、
通算12アンダーで逃げ切り今季4勝目を挙げた。
今季最終戦を待たずにツアー史上初となるプロ1年目での賞金王を決めた。
今季獲得賞金は2億107万6781円に達し、史上3人目の大台を
最短の16試合(海外3試合を含む)で突破した。年間4勝も新人最多タイ。
まさに記録ラッシュのルーキー賞金王となった。
◆尾崎将司
「予想はしていたが、ここまでするとは思わなかった。
日本ツアーもレベルが上がっている中で、この快挙は二度と出ないだろう。
松山と石川の米ツアー参戦で、日本ツアーも寂しくて、ある意味では暗いところもあるが、
本人の目的を達成できるように見守ることも大事」
◆青木功
「ルーキーイヤーで何から何まで初体験の連続だったが、大きな収穫があった1年だったと思う。
海外メジャーでの成績が良かったことも評価できる。
ルーキーイヤーで賞金王になれる逸材、もっともっと大きく育ってほしい」
◆中嶋常幸
「ルーキーイヤーで賞金王になれたことは素晴らしいのひと言につきる。
特に海外での戦いは、これから日本人がメジャーチャンピオンになれる可能性を
感じさせる活躍だった」
◆保持していた新人記録の年間4勝に並ばれ、賞金ランク2位を破られた倉本昌弘
「ぼくらの時代より試合数が少ない中、4勝目は素晴らしいと思う。
でも並ぶだけではダメ。次も勝って超えてほしい」
◆東北福祉大ゴルフ部・阿部靖彦監督
「松山がここまで来ることができたのは、やはりハートの強さ。
勝ちたい、という気持ちがだれより強い。出る試合すべてに優勝しろといってきた。
賞金王は積み重ねの結果。ただ目標は世界。これがスタートだと思う」
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(以下、サンケイスポーツニュースより)
カシオワールドオープン最終日(1日、高知・Kochi黒潮CC=7316ヤード、パー72)
2009年賞金王の石川遼はグリーンサイドで松山を出迎え、がっちり握手した。「おめでとう!」。
本戦は通算1オーバーの26位だったが、ドライビングディスタンス289・5ヤードは
松山を0・5ヤード上回って今週1位。表彰対象となったことで、ホールアウト直後の祝福が実現した。
「ぼくは1年日本でやっての賞金王だった。
英樹はこれしか出てなくてだから、ずば抜けたプレーだと思う」
09年の石川は賞金ランク対象26試合(海外4含む)だったのに対し、松山は16試合(海外3含む)。
当時18歳でのキングも快挙だったが、石川は同い年のライバルを称えた。
「英樹の体の大きさ、体重、ヘッドスピード、ドライバーの飛距離、
アイアンのスピン量、球の高さは世界でやっている選手と対等ですよ」
自身はこれで今季国内ツアー参戦を終了。
「ぼくが刺激をもらってばかりでは仕方ない。自分もがんばって、お互いに刺激しあいたい」。
来年は米ツアーでしのぎを削る。
★石川のプロ1年目
2007年にアマチュアながら「マンシングウェアオープンKSBカップ」を制し、08年1月にプロ転向。
“デビュー戦”となった4月の「東建ホームメイトカップ」では5位。
国内19戦目の11月に「マイナビABC選手権」でプロ初勝利を挙げた。
同月の「カシオワールドオープン」では史上最年少となる17歳2カ月で獲得賞金1億円を突破。
最終的に1億631万8166円を稼ぎ、ランク5位で終えた。
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ルーキー史上初の賞金王には、ただただ脱帽する。
少ない試合数で2億円到達、海外でも戦える可能性を示し、
国内賞金王を地元での優勝で決めたのだから。
欧米のスポーツのあり方と日本のあり方の大きな違いは、
欧米ではクラブチームが主体となって行われるのに対して、
日本では学校が主体となって行われている。
日本でもクラブチームが主体となっているサッカーでは、
高校選手権がひとつのステータスになっているし、
現在の日本代表選手の中では、長友が大学サッカー部出身であるなど、
日本のスポーツ選手の多くが、大学で教育を受けているというあり方に、
欧州では評価する声が上がっている。
もちろん、大学進学がすべてにおいて好影響になる訳ではない。
在籍4年間をアマチュアとして過ごせば、プロでの活動年数は、
それだけ短くなる訳で、機会の損失という見方もできる。
それでも、大学進学が目標になっているのではなく、
プロスポーツ選手になるために、大学進学の道を選ぶという、
明確な目的のもとで、過ごしている4年間は、
決して機会の損失にはならないだろう。
ルーキーにして賞金王に輝いた松山は、プロと言っても大学生。
もちろん、プロで活躍するために、大学進学を選んだ訳だが、
松山が目標にしたのは、「プロになる」でもなければ、
「プロで活躍する」でもなかった。
「大金を稼ぐ」ために、プロ1年目をどう過ごすかだった。
いずれ大金を稼ぐとか賞金王になると言うのではなく、
ルーキーだからこそ稼ぐという考えに基づいてプレーしていた。
一流選手と超一流選手を分けるものは、
そんなちょっとした考え方の差ではないだろうか。
高校を卒業して、すぐにプロになる道もあったそうだが、
そこそこ活躍できる程度に収まらないために、東北福祉大に進学し、
ゴルフへの渇望を力にして、満を持してのプロデビュー。
体調不良に悩まされるなど、決して順風満帆ではない中で、
賞金王を獲得してしまうあたりは、修正能力の高さを伺わせる。
もともと備わっている能力が違うと言ってしまうのは簡単だが、
彼を支えているものは、後天的に身に着けたものではないだろうか。
それは日々の練習であったり、考え方であったり。
活躍の場が大きくなり、世界が広がっていくことで、
戸惑うことや違いに悩むこともあるはずだが、彼の場合は、
すでに大きく広い世界の中にスタンダードを置いている。
なかなか頼もしい若者だ。
そんな大舞台を経験しても、賞金王争いをしていても、
自分を見失わずプレーできるところがすごい。
そんな支えになっているのが、東北福祉大の選手である証のシャツ。
大金を稼ぐと口にした男が強い帰属意識をもっている。
若さが傲慢に表れることも多々ある中で、
精神をしっかり保っていられる強さが、
彼を賞金王にしたのではないだろうか。