私も一時期探し求めてしまった “処方箋” についてのお話です。
ある女性から「あなたがおっしゃっていることが本当であるのなら、虐待的な関係の結婚を私はそのまま続けるべきだったのですよね」と尋ねられたことについて「私がお話ししたのはそのようなことではありません」と答えたガンガジ。
そして「身体的な危険があるのでしたらその場から立ち去るべきです。けれども、虐待という言葉そのものには、たいへんに広い解釈があります」と語ってからの “静寂な意識” についての話。
私たちは、いかに自分が虐待され、被害者であり、その生存者であるかという公式を作り上げます。
その結果、自分自身にレッテルを貼付け、苦しみを背負います。
私はそうなのだ、というふうに認識をし始め、教会やスピリチュアルな先生、テレビの悩み相談、などというような援助団体が語っている、「どのように生きたらいいか」という処方箋に従って生きるようになります。
誰かが教えてくれる「どうすればいいか」に従って生きるのでは、まったく子どもと同じです。
ですから、成長なさることです。そしていったいどうしたらいいのかを、誰にも言ってもらわないことです。
そうしたとき、あなたは、あなたの本質である明晰さ、静寂な意識へと引き戻されます。そこには、イエスがそう言ったとか、ガンガジがそうしろと言ったとか、ラマナがそう言った、というような処方箋はありません。
私があなたを静けさへと導く目的はそれです。
するべきだ、するべきではない、などというおしゃべりの根底には、いつも必ず、静寂が在ります。
その静寂はあなたご自身の “開かれた意識” です。
この静寂は “それ自身に目覚めている” あなたの本質です。
すべきであるとか、すべきではないということとは関係のない、そして、すべきである、すべきでないということをも包み込んでいる、愛そのものです。
そうすべきであるということや、そうすべきではないということは、この意識の中に生まれるのです。
時には必要なことでしょう。
そしてまったく必要がないこともあるでしょう。
すべきだとか、すべきでないということが、すべて間違っていると申し上げている訳ではありません。
私たちは、幼稚園や小学校のときから、何かに従うように訓練されてきました。そしてスピリチュアルな生き方の中でも、同じようなことをしています。
誰かの、そうするべきだという言葉に従っています。
まったく必要のない重荷です。
※今回の対話の全文は、翻訳されているサイト「ガンガジとの対話」の「自由に生きる、とは」の記事をご覧ください。
前回も紹介した、真実に気づいたケイティさんやアニータさんもガンガジさんと同様のことを語られてます。
バイロン・ケイティ著『タオを生きる』より
「もっとも健全なのは、指導者を不要にするシナリオ」
「あなたが必要としている教育は、すでにあなたの中にある」
アニータ・ムアジャーニ著『もしここが天国だったら?』より
「偉大なヒーラーは、あなた自身が持つ癒しの能力に気づかせ、最終的には人に頼らなくていいように促してくれます」
心の平安をもたらす “開かれた意識” は、自分の内面と真摯に向き合い、自身で発見することが大事なようですね。
今回の曲も前回に続き、シャナイア・トゥエインの楽曲。
ジュリア・ロバーツとヒュー・グラントが共演した映画『ノッティングヒルの恋人』より『ユーヴ・ガット・ア・ウェイ』。
You've Got A Way / Shania Twain