臨死体験でイエスと出会った無神論者 | 宇宙の限りなき優しさの中で

宇宙の限りなき優しさの中で

大好きな映画や音楽、日々の生活で感じたことを綴ります。

 
前回紹介した小説『アミ 小さな宇宙人』の中で、
地球の未来を心配する宇宙人のアミが少年に話した言葉。

愛が宇宙の基本法。

とても単純で、素朴で、しごく当たり前のことのようでもあるけれど、これを体得するのは容易なことじゃない。



今回は、この言葉を理解するのに役立つ動画を紹介します。

人生で成功していた無神論者の臨死体験の実話で、
イエスと出会い、愛について学んだ男性の物語。

パート1とパート2があり、内容も抜粋して紹介します。



大学教授として大成功していたハワード・ストームさん。

彼は、終身雇用の正教授に20代でなり、自分の作品を展示するギャラリーが2つもあり、彫刻家としてケンタッキー州から大きな賞も受賞していました。

彼の目標は有名な美術家になることで、人生できる限りのものを手に入れて、捕まらなければ何でもやり放題。

酒も多く飲み、無神論者で、苦難をできるだけ避け、
快楽をできる限り体験しようとしていました。


そんな中、ヨーロッパ美術旅行中のフランスでのこと。

小腸に穴が開き、すぐに手術が必要と言われ、
救急車でパリの病院に連れて行かれます。

そして、その病院でこの教授は臨死体験をします。




死期が来たと知り、教授は妻に別れを告げて、「子供に私が愛していると伝えてくれ」と言い、意識が無くなります。

そして次の瞬間、自分の遺体が横たわるベッドの横に立っていることに気づきます。

痛みが完全に無かったので、とても嬉しくなりました。

よりイキイキとして感覚がより鋭くなり、これが現実かどうかチェックしましたが、私の感覚は非常に鋭くなり、現実が強烈なほどリアルだったのです。




その後、教授は気味悪い薄暗い場所に連れていかれます。

彼らは、私がそれまで生きてきたのと同じような人生を歩んだ人たちでした。

不幸にも神を拒絶した彼らは、私たちが当たり前として見るけど、実は神が与えてくれたすべてのものを拒絶したのです。

神は私たちに愛を与え、喜びや光を与え、希望も与え、世の被造物すべてを与えたのに、彼らの世界にそれらは皆無でした。

彼らが持っていたのは、自分を満たすことだけを求めていた自分自身のみで、そこにいた人たちは互いに支配し苦痛を与える対象を探して生きているのでした。




そこにいた彼らは、教授に対し大きな苦痛を与えます。

その時「神に祈りなさい!」との声を聞き、イエスが自分を愛していると100%信じていた少年時代を思い出します。




光に包まれ、イエスと出会った教授。

光の世界に連れていかれる途中で、「私は知っている。私にはすべてわかるのだ」とイエスから言われます。


私のすべてを知っていて、それでもなお私を愛してくれるのなら、イエスは私を本当に愛しているのだ。そんなに好きでいてくれるなら、ありのままの自分でいいとわかったのです。

本当にイエスはベストフレンドだと思いました。




そして、教授は自分の人生の記録を見せられます。

年代別に人生が映し出され、子供時代から10代に変わるにつれ、楽しいものではなくなってきます。


私はどんどん人からも、何もかもから遠ざかって、感情の自己防衛のために、自分の殻に閉じこもっていったのです。

自分の欲しい物を手に入れるために、
どんどん巧みに人を操るようになりました。

それはイエスと天使たちをとても悲しませました。

彼らは私を愛しているのがわかりましたが、
私がしたことを嫌っていました。

なぜなら、結局はそれが自分を傷つけていたからです。

自分が犠牲者だと思って、やったことを正当化したり言い訳したことは、基本的に自己破滅をもたらしていたのです。




人生でこうするべきだったという例も見せてもらった教授。

それは、父から激しい体罰を受けて泣いている姉の部屋に行って、寄り添い腕をまわして抱きしめ一緒に寝たことでした。

イエスは「あれは素晴らしい行為だった」と言って、
とても嬉しそうでした。




こうやって人生を見直ししていく中で、イエスは、私が達成したと思っていた事柄を完全に無視していました。

代わりに、私が人々へ無関心の態度でいたことを指摘しました。



イエス:
この世界は神の園のようなもので、あなたとすべての人はその園を手入れし、美しく開花させる目的で創造された。神はすべての人をありのままで美しいユニークで特別な存在として創った。



教授は、この世に戻ったら何をすれば良いか聞きました。


教授:
私は美術家なので、あなたのために神殿を造ります!

イエス:
神殿に興味はないし、人が自己満足のために好んで神殿を造るのは理解できるけど、父なる神や私にとっては何の意味もないし、役にも立たない。

あなたの目の前にいる人を愛しなさい。


教授:
それは単純ですからやりますよ。

イエス:
本当? それならやってもらおう。それで十分だ。

教授:
どうしてそれで十分なのですか?

イエス:
あなたがそれをするなら世界を変えることになるのだ。

教授:
私が地上に帰って世界を変えようとして、
ひどい間違いを犯さないとどうして言えますか?


イエス:
目の前の人を愛することによって世界を変えてもらいたいのだ。

教授:
ちょっと待って、世界を変えろと言うけど、
目の前の一人を愛せと言うのですか?


イエス:
そうだ、それが偉大な計画なのだ。

教授:
目の前の人を愛することが、
世界を変えることになるとは思えません。


イエス:
あなたが目の前の人を愛することによって、その人が他の人を愛するようになって、その人も次の人もまた次の人を愛するようになって、愛の輪が広がって、愛が世に打ち勝つんだよ。
それが神の偉大なご計画なのだ。


教授:
それがあなたのご計画なら私も従いますけど、
大きな助けになるとは思えません。


イエス:
それがどのように起こるか十分に分かっていないからだ。



この世に戻った教授はこう言います。


だから、私のすべての解決法は互いに愛することになりました。

後に聖書を読んだ時にその言葉が、イエスの命令として「互いに愛しなさい」と書かれていることを知ったのです。

イエスは他の箇所でも違う表現で言っていますが、
それが、私たちが基本的に学ぶことなのです。


ですから、私はそのことを学んでいる最中で、
隣人を愛すること以外に大きな計画は自分にはないのです。

ところが、意に反し、簡単だと思ったことが、
実はとても難しいことだったのです。

良い人で愛のある人を愛することは難しくありません。

でも、意地悪く難しい人だったらどうでしょう?
こういう人たちを愛するのは大変です。


愛するがゆえに投獄しなければならないこともある。

それは楽しいことではありません。

また、ある時は、その人をできる限り避け、
「二度と電話をするな」と言うことかもしれない。

これも楽しいことではない。

本当に人を愛するということは、
単純そうですが難しいことなのです。




いかがでしたでしょうか?

人間が造る神殿や、教授が人生で成し遂げた功績に、
イエスがまったく関心がなかったことがとても興味深いです。

それよりも大事なのは「目の前の人を愛すること」でした。

それは、アミが言った「愛が宇宙の基本法」と同じですね。

私は、この教授の臨死体験は真実だったと思います。