幸せは、小さな点の集まり
先日、自転車に乗る高校生たちを見て、「これからの人生、自分をちゃんと生きたい」そんなことを書きました。『風を切る自転車と、残された時間』今日、制服姿の高校生たちが、自転車で風を切るように、さっそうと走り去っていきました。その姿を見たとき、ふと、彼らの前に広がる長い未来のことを思い…ameblo.jpでも、 「自分を生きる」って、いったいどういうことなんだろう?以前の私は、もっと立派な人になりたいとか、何か大きなことを成し遂げたいとか、そんなふうに考えていました。正直に言うと、幾度となくその衝動にかられます。好きなことを仕事にして、人に認められて、「これが私の人生です」と言えるような、ちゃんと輪郭のあるものを見つけること。それが、自分を生きてるって言えることだと思っていました。でも、その「何か」って一体何なんだろう。私の心が本当に喜ぶことって何のことだろう。そんなことがいつも頭の片隅に引っかかっていたわけですが。ある先生に、「嬉しいとか幸せという感情は、線や面のようにずっと続くわけではないのよ」と言われたことがあります。その言葉を聞いたとき、とても驚きました。幸せというのは、ずっと続く大きな塊ではなく、小さな「点」のようなもの。訪れては、またすぐに去っていく。そんな一瞬一瞬の集まりだとしたら、私の考える「何か」とは別物だったのです。数年前、 少しまとまったお金があったとき、シャネルに通っていたことがあります。ブランド品が特別好きだったわけではありません。ただ、お金を何か記念になるものに変えたかったのです。お会計の時に未入荷の商品を見せてもらって気になる商品があると連絡がきて、また来店する仕組み。通っていると新作発表前の商品を見せてもらえたり、お披露目会に招待されたり、普段は入れない小部屋に案内されたり。その瞬間は、やっぱりきらきらして嬉しいのです。少し特別な存在になったような気がして、気分も上がります。でも、 その高揚感は、本当に一瞬のことでした。ある日、庭の草を抜いていました。雑草を取り、花壇がすっきりと整っていく。それを眺めていたとき、ふと思ったのです。「あれ?これ、種類は違うけど、ブランドショップのおもてなしを受けたときの喜びと、何が違うの?」庭がきれいになったときの心地よさ。流れている時間も心の満たされ方も、種類は違うけど、心地よさと喜びは一緒。そして、瞬間に消えていく。かたや何十万、何百万。かたや無料。そう思ったら、なんだか可笑しくなってしまいました。幸せだと感じること。嬉しいこと。楽しいこと。心が動くこと。そういう瞬間を、日々の中でどれだけ味わえるか。「点」で湧き上がるこの感情を日常の中でたくさん、たくさんかき集めていく。そうしているうちに、気がつけば、いつもご機嫌な私ができあがっている。そんなご機嫌なところに、運というものが好んでやって来るのだとしたら。特別なことを成し遂げなくてもいい。立派な人にならなくてもいい。私の目の前には、自分をご機嫌にする材料が、無数にあるんだな、と思ったわけです。今日もまた、目の前にある小さな幸せを拾い集めながら、ご機嫌な私で、この世界に存在していたい。では、またね。おすすめ記事『幸せのバロメーター♪あなたのご機嫌サインは何ですか?』こんにちはー、アルマです今日は、ちょっと軽めのお話を。最近、私は「自分の楽しい」をできるだけ優先するようにしています。といっても、特別なことではなく…ameblo.jp