恋愛小説 | ビックの部屋

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陸が三歳の誕生日を迎える頃。

嵐のようだった育児も少しだけ落ち着きを見せ、僕たちの生活にはようやく「家族としてのペース」が掴めるようになっていた。

​休日の公園。

よちよち歩きから、いっちょ前に走り回るようになった陸を追いかけながら、僕は額の汗を拭った。

​「パパ、まてー!」

「こら、そっちに行くと危ないぞ!」

​無邪気な笑い声を上げて逃げ回る小さな背中を捕まえ、高く抱き上げると「キャーッ!」と嬉しそうな声が響く。その声を聞くたびに、日頃の仕事の疲れも吹き飛んでしまうのだから、子供の存在というのは本当に不思議なものだ。

​ベンチでは、水筒とおしぼりを用意した夏実が、太陽のように温かい笑顔で僕たちに手を振っていた。

​「二人とも、汗びっしょりじゃない。ほら、陸、お茶飲もうね」

「ん!」

​ベンチに戻り、夏実が陸の汗をハンカチで拭ってやる。その優しい横顔を見つめながら、僕はふと、ずっと心の奥で温めていた言葉を口にした。

​「……夏実」

「ん?」

「あのさ……病院に凍結してある受精卵のことなんだけど」

​僕が切り出すと、夏実は少しだけ手を止め、僕の目を見た。

第一子の不妊治療の際、奇跡的にいくつか採卵でき、受精した卵がまだクリニックのタンクの中で眠っている。保存の更新時期が近づくたびに、夫婦で話し合わなければならないテーマだった。

​「陸も少し手が離れるようになってきたし……もし、夏実の体と心が許すなら、もう一度、お迎えに行かないか? 陸に、きょうだいを作ってあげたいなって」

​僕の提案に、夏実は驚く様子もなく、優しく微笑んで陸の頭を撫でた。

​「……奇遇ですね。私も、最近ずっとそのことを考えていたんです」

「本当?」

「うん。陸を育ててきて、大変なこともたくさんあったけど……でも、やっぱりもう一人、健人さんとの子供に会いたいなって。私たちを待ってくれている卵ちゃんを、迎えに行きましょう」

​そうして、僕たちの二度目の不妊治療が始まった。

​一度目のような「どうしても授からなければ」というような切羽詰まった悲壮感はなかった。しかし、ホルモン補充の薬や通院の負担は、三歳児の育児をしながらの夏実にとっては決して軽いものではない。

​僕は仕事を調整し、できる限り陸の保育園の送迎や家事を引き受けた。

「パパ、ママお腹いたいいたい?」

「ううん、ママは今、陸の弟か妹を連れてくるために頑張ってるんだよ」

​家族三人で手を取り合いながら進んだ二度目の治療。

一度の移植は失敗に終わったものの、二度目の移植で、夏実は再び奇跡をその身に宿してくれた。

​「ほぎゃあぁぁっ! ほぎゃあぁぁっ!」

​陸の時から数年ぶりに聞く、新しく、そして力強い産声。

春の温かい陽だまりのような午後に産まれたのは、夏実に似て柔らかい顔立ちをした、元気な女の子だった。

​「健人さん……っ、女の子だよ。私たちの娘……っ」

​分娩台の上で、汗と涙に濡れた夏実が、小さなピンク色の命を胸に抱いて泣き笑いの表情を浮かべる。僕は彼女の額にキスをし、その小さな娘の手をそっと握った。

​「ありがとう、夏実。本当によく頑張ったね」

​数日後、退院した夏実と赤ん坊を自宅に迎えた日。

陸は、ベビーベッドの中で眠る小さな妹を、不思議そうに、けれど誇らしげに覗き込んでいた。

​「パパ、あかちゃん、ちいさいね」

「そうだな。陸はお兄ちゃんだから、優しく守ってあげるんだぞ」

「うん!」

​その光景を、夏実と二人で並んで見つめる。

リビングには、子供たちの衣類やおもちゃがさらに増え、独身時代の殺風景だった僕の部屋の面影はもうどこにもない。しかし、ここには確かな「家族の絆」があった。

​「健人さん」

「ん?」

「私……今、本当に幸せ。健人さんと陸と、この子と……四人で、温かい家庭を作っていこうね」

​夏実が僕の肩に頭をこてんと乗せてくる。

僕は彼女の肩を抱き寄せ、「ああ、僕が絶対にみんなを守るよ」と心の中で強く誓った。

​二人の子宝に恵まれ、僕たちの「家族」はこれ以上ないほど完璧な形として完成した。

夫として、父親として、この幸せな光景を永遠に守り抜くこと。それが僕の人生のすべてになった。

​——しかし。

「完璧な家族」を築き上げることに夢中になるあまり、僕は一つだけ、重大なことを見落としていた。

​夫婦の絆が強固になればなるほど、僕と夏実の間から「男と女」という関係性が、静かに、そして完全に失われつつあることに。

この時の僕は、満ち足りた幸福感の中で、迫り来る破局の足音にまだ気づくことができなかったのだ。