監督 アルフレッド・ヒッチコック 

脚本 ジョセフ・ステファノ 

原作 ロバート・ブロック 

製作会社 シャムリー・プロダクションズ

 

メタスコア: 97 

IMDb: 8.5 

マイスコア: 95 

テーマ: 支配的な親による子供の影響

 

かなり展開として楽しめる作品でした。ゾクゾク感や恐怖感は、映画「めまい」より大分感じられました。ホラー要素もあると感じました。結末は予想していたもので、ノーマンという肉体に、2つの人格が存在するというものでした。マリオンを殺した理由は、彼の肉体の中に存在する母親の人格がノーマンの人格に嫉妬したからです。そもそも母親と二人暮らしであって、母親はかなり厳しかったようで、独裁的であったと言えます。つまり、毒親であると言えるでしょう。毒親がいる状態で息子と二人暮しだと、当然共依存が起こることがあります。母親が愛人を作り、ノーマンが嫉妬し、母親と愛人を殺してしまいます。母親の割合としては、約7割いると言われており、ノーマンのように事件を起こすことはありませんが、共依存が起こる可能性は高いです。気をつけなければなりません。

 

序盤のマリオンが金を横領し、道中でいろんな人に疑われていくときの描写とBGMは非常に良かったです。最終的に人格が完全に母親に乗っ取られたので、怖かったです。これは、我々へのメッセージである可能性といえます。毒親の毒を受けたことによる影響は、自分にも存在します。一人暮らしの重要性も本作品で感じました。なぜなら、ノーマンは生まれてからこの方、ベイツ・モーテルから一歩も動いていないからです。他の場所に行けるかどうかという不安も抱えているのでしょう。母親からのコントロールを逃れたいという気持ちもあるでしょう。

 

正直に言って、ノーマンという存在はどこか憎めない要素があるので、共感を覚えました。自分自身と少し重なる部分があるからです。ウェブサイトでの考察を調べたところ、剥製の鳥は、自由を奪われた遺体、つまり母親を表していたとされています。自分が罠にかかり、逃れられないことを示しているのかもしれません。マリオンに言っていたのではなく、自分自身に言い聞かせていたのかもしれません。アンソニー・パーキンスが演じるノーマンは見事で、特に不敵な笑みを浮かべるシーンでは、底しれない狂気が伝わってきました。

マイスコア:70


展開は至って普通であり、メイが戻ってハッピーエンドという結末である。「崖の上のポニョ」と同じような感覚で見ていた。


サツキ、メイ、トトロ、中トトロ、小トトロ。全員可愛い。


見ていて癒やされる作品ではある。ただ、メッセージ性は皆無である。


メッセージ性の部分をおそらく本作で重要視はしていないようなので、致し方ない部分はある。しかし、作画はかなり綺麗であった。


自然の描写は見ていて癒やされるし、心が安らぐ。


本作を四文字で表すと、「予定調和」という言葉を使用せざるを得ない。予定調和を壊すクラッシャーがいたら、もっと面白いのにと感じた。


たとえば、草壁一家が家族団らんになっているときに、アニメ「ひぐらしのなく頃に」の竜宮レナが鉈を持って突入したら面白そうではある。


こういう思考回路を持っている人はそもそも本作を視聴するのに向いてはいないだろう。


しかし、普段と違った趣向の作品が見られたので、それはそれで良しとしよう。

 

東野 圭吾(著)

出版社:講談社

 

テーマ:驚愕のエンディング

 

間違いなく自分の人生を変えた本である。ライトノベルはたくさん読んでいたのだが、本作を読むまで一般の小説というものが、ここまで面白いということに気づかなかった。

 

本書は、高之が朋美を間接的に殺したのだが、高之はその罪が罰せられず、ただ平穏な日々を過ごしていたときに、別荘に招待されその中で殺人事件が起こるのだが、すべて演技で、実は高之に過去の罪をすべて打ち明けてもらって自首してもらうためのものだったのだ。

 

この頃は江戸川乱歩以外のミステリーを初めて読んだので、最初伸彦が犯人だとなったときに、「一件落着か」と勝手に思っていた。しかし、それが事実ではないことに驚き、さらに最後に仮面が外される描写が書かれ、タイトルから既に伏線を張っていたことに驚いた。二度驚き当時の自分は読後頭がポカーンとしており、その後家族で焼肉を食べに行ったのだが、本書の衝撃によりあまり味を覚えていないのは良い思い出である。

 

 

タイトル: 東京物語

  • 監督: 小津安二郎
  • 脚本: 野田高梧、小津安二郎
  • 製作会社: 松竹大船撮影所

評価:

  • メタスコア: 100
  • IMDb: 8.2
  • マイスコア: 90

テーマ: 親と子の関係の変化

「東京物語」は、決して悪い作品ではない。ただし、特に際立った面白さはなかった。主人公の周吉は、始終どんな出来事があっても心は穏やかで、態度も柔和であった。周吉の領域に至ることはかなり難しいことだ。しかし、周吉も昔は優しくなかったとされている。志げが亡くなった母親の遺品を私物化しようとする様子はとても不快だった。なにせ、その態度があからさまで、不快感を引き起こした。しかし、私自身も同じことをする可能性は否定できないだろう。そのような志げの態度に反対したのは京子だったが、紀子は違った視点から物事を捉えていた。紀子は、自分の親に対する愛情を超えた視点から物事を捉えていた。周吉が息子たちにもっと優しく接していれば、と最後に話す場面が印象的だ。このシーンは心温まるものだった。周吉夫妻は尾道に住んでおり、息子たちは主に東京に住んでいるというのがネックだと思われる。物理的な距離は心の距離と相関関係にあるように感じた。ただし、誰もが一生懸命生きており、当時の日本の建物、機器、風景に触れることで、1950年代の日本の町並みを想像する手助けになったのは嬉しかった。当時の電話や電報、電車などが描かれ、ノスタルジアを感じた。現代の速いペースで東京から尾道までの所要時間を調べてみると、4時間08分(乗車時間:3時間41分)かかることが分かった。予想以上に時間がかかることに驚いた。周吉は最後に、息子たちにもっと優しく接していればよかったと話す。自分も将来、子供ができれば、優しさをもって接していこうと思う。心温まるシーンと感情的に冷たくなるシーンが共存していた。また、紀子が息子たちよりも優しく感じられるのは、単純に血縁関係がないからである可能性がある。ただし、紀子自体は非常に優しい人物だ。しかし、紀子が実の親に対して同じ態度を取るかどうかはわからない。

監督 黒澤明

脚本 黒澤明、橋本忍、小國英雄

製作会社 東宝

メタスコア:92

imdb:8.3

 

☆5

テーマ:「生きる」という言葉の本当の意味

 

もう、黒沢作品だったら、全幅の信頼をおいてもよい、と思わせてくれた。黒澤監督の作品なら、見る前から☆5であるという評価をしてしまう。本作のストーリーは、30年間ただただ業務をこなすだけの毎日を送っていた渡邊勘治が、胃がん宣告で、余命半月になってしまったのをきっかけに、奔走するところから始まる。自分がいかになんとなく生きているかということがよくわかった。正直、自分の感じたことをそのまま書きたいので、考察は見ないことにする。はじめは、女遊びや享楽に時間を浪費していたが、どこか心が満たされないところがあった。これは、共感できる。自分も楽しくもないが、つらくもない娯楽の時間を過ごすときが非常に多い。この作品がすごいのは、自分ももし余命半年になったら、同じように享楽に走ると感じるからである。そして、最後の方では、渡邊勘治と同じく社会貢献という形で、何かを作ることに熱中するかもしれない。今、渡邊勘治の人生終盤の方を想像してみたが、どこか自分が今死んだら、後悔するだろう、という気持ちが芽生えたのだろう。自分の晩年を想像してみて自分がそう思うだろうと予測した。自分の今の悩みがとてもちっぽけに思える作品だった。人生晩年になったら、金のことなんてどうでもよくなるんだろうな、と感じた。一番良かったところは、大野が渡邊の死後、「自分も渡邊の遺志を引き継ごう」と発言したのにも関わらず、6ヶ月後、面倒事は土木課に回すところである。非常にリアルである。このシーンで、渡邊の死後、全員が渡邊の遺志を受け継いで仕事をしたら、非常にありきたりな展開になり、胡散臭い感動ポルノ作品になってしまう。某長寿アニメ作品の映画みたくなってしまうのである。「君の名は」も感動ポルノであろう。そもそも、人生の意義とは?という深いテーマを掲げている。これは、人生を最大化して幸福になろうという話でもない気がした。本作で改めて、自分で考えることの大切さを知った。渡邊は引っ込み思案である。しかし、公園を作る際、引っ込み思案の部分は出ていたが、自分の意見は言えていた。そして、死期が迫った頃、全てがきれいで美しいと発言するシーンがある。これは、漫画「ぼくらの」のコモと同じ心境である。科学的に説明したら、どのような説明になるのだろうか。しかしながら、やはり搾取される、つまりやりがい搾取が起きやすいと感じる。何が言いたいかというと、もしあの死期が迫った渡邊がタイムリープして新入社員の頃に戻ったら、本当に同じように仕事に対し、自発的に行動するのかという部分は不明瞭である。うまく、残業はせず、しかしながら、仕事に対して自発的に行動するのがよいだろう。これが自分の最終結論である。小田切とよの発言による影響によって、渡邊の行動が変わったところもいい。つまり、自分より一回りもふた周りも若い女の言葉の影響で変わったところを指摘しているのである。これは、映画「名探偵コナン 黒鉄の魚影」の灰原哀が直美・アルジェントに言ったセリフと重なる部分がある。ちょっと寄り道したが、良い作品だった。黒沢作品。はしごしたい気分である。YouTubeでストレス発散している自分が恥ずかしいと思えた。真剣に生きようと思います、勘治さん。大野さんみたくならぬよう、忘れないように定期的にこの作品を見る必要がありそうだ。テーマに書いた、生きることの本当の意味とは、言葉では表せないものであると感じた。

監督 黒澤明

脚本 黒澤明、橋本忍

原作 芥川龍之介『藪の中』

製作会社 大映京都撮影所

メタスコア:98

imdb:8.2

 

☆5

テーマ:人と人との相互の信頼

 

非常によくできた作品である。金沢武弘がどうやって死んだのかを考察する作品である。金沢、真砂、多襄丸はそれぞれ違う主張をする。ただし、3人とも共通しているのは、「自分が殺した(自殺を含む)」と主張している点である。要するに、三人とも見栄を張っているのである。しかしながら、「自分が罪を犯した」と発言して嘘をつく意味がわからない。自分が損するだけではないか?かっこよく罪を犯したかったのだろうか?よくわからない。多襄丸の証言によると、「じぶんは姑息な真似はしたくない」と主張していた。ただ、部分的には事実と同じだったので、そこまで嘘はついていないという印象。杣売りは事件の当事者じゃないので、事件自体は客観的に見れていたが、真砂の短刀は盗んでいた。大事なのは、客観的に物事を見て自分は嘘をついていないと本当に思っている人でも、自分の罪を棚上げしているのである。ただし、杣売りは自分から見ると善人であるというのもポイントである。多襄丸はなんですぐに金沢を殺さなかったのか謎である。罪を犯しながらも、自分は善人でありたいという気持ちがあったのだろうか。ラストシーンでは、旅法師は杣売りに失望するも、子供に対する対応を見て、人を信じてみようと思い立ったという展開になった。しかし、旅法師はすぐに人を信じすぎではないかと感じる。危なっかしい。旅法師の言動を見て思ったが、何かの宗教を信仰している人は善人であろうとする思いがかなり強いことがわかる。個人的には、下人に結構感情移入した。自分は今何不自由なく生活しているので、盗みはしないが、もし自分があの時代に下人として生まれていたら衣服を剥ぎ取っているのかもしれない。見た様子だと、あまり警察みたいな組織も機能してなさそうだ。下人の発言は割りと芯をついていたと感じる。羅生門の描写は非常にかっこいいものがある。ミロのヴィーナスみたく、半壊していることも含めて味がある。その門の下で、三人が話し合うシーンもなんともいえぬ描写である。こういうシーンは好きである。自分は、侍が出てくる映画は好きなのかもしれない。黒澤明と相性はいいのかもしれない。映画によって、監督の性格がわかるのが面白い。ポン・ジュノとは大違いなラストを迎えた本作であった。ストーリーの内容は藪の中を使い、舞台設定は羅生門を使うというなんとも贅沢な原作の使い方をしている。組み合わせて大正解である。

 

 

 

 

 

 

 

 

監督 シム・ソンボ

脚本 シム・ソンボ、ポン・ジュノ

原作 キム・ミンジョン

メタスコア:61

imdb:6.8

 

☆5

テーマ:極限状態での人間の行動変化

 

かなり良かった。カン船長が個人的には好きだった。人を殺してでも、絶対に船だけは守るという意志を感じた。はじめに、フロンガスで大量に人が死んだことにより、人を殺すという行為に歯止めがきかなくなった。殺人が連鎖したのである。自分なら船長と同じように、人を殺すが、殺した上で、浮き輪をだし、逃げようとするだろう。機関長は優しすぎるという欠点があり、そのせいで船長に殺された。何事も全部を救うというのは無理な話である。優先事項をしっかり把握し、行動に移した船長は結構好きである。ドンシクは個人的に嫌いである。非常に感情的で、ホンメを守るために、自分の命もなげうつ覚悟で、なおかつそのために、船を壊す始末だったことから、少々気が狂っている。最初、ドンシクは結構好きだったが、嫌いになった。完全にこの物語の戦犯である。中国の10倍、韓国では稼げるという情報も手に入った。こういった他国の内部事情がわかるのも他国の映画を見る醍醐味である。ポン・ジュノ監督のパラサイトでは、最後通り魔によって人が殺されまくったが、本作では、ホンメがドンシクを放っておき、勝手に別の家庭を築くというラストで終わった。韓国映画のラストはいつも謎の展開を見せるので、予測がつかない。韓国映画の評価が個人的には上がった。性行為の描写も普通の洋画だったら、本作のように露骨には描かないだろう。結構凄惨な状況だったり、環境だったりをちゃんと描写してくれるところが、韓国映画にはある。結局、人を殺したのに生き残って普通に生活しているドンシクは胸糞であるが、韓国映画の醍醐味なのだろう。だが、船長は嫁にも見限られ、目の前で性行為を見せられ、ぐれてもいいが、ぐれずに業務を全うした。ホンメも最初は周りに気を遣う善人だったのに、中盤~終盤では武器を手に持っており、もし何かあったときは殺すことも選択肢に入れていただろう。どんどん常人が狂っていく様子を見られた。ホンメがラストシーンでドンシクを裏切ったのは予想外過ぎた。一筋縄ではいかないようだ。ウェブサイトで考察を見たが、船長は船の中に自分のアイデンティティを見出していた、と書いてあった。納得である。奥さんに不倫されていたから、なおさらである。

監督 メル・ギブソン

脚本 メル・ギブソン、ファルハド・サフィニア

製作会社 アイコン・プロダクションズ

メタスコア:68

IMDb:7.8

 

☆5

テーマ:恐れを克服するには?

 

結構、引き込まれた。マヤ文明同士の抗争だったらしい。ラストシーンの船のシーンは、Wikipediaで調べるとスペインの船ということらしい。その際、コロンブスが来ていたらしい。この映画はかなりの迫力を感じた。構成がうまいとかではなく、ただただ物語に圧倒された。環境としては最悪の環境である。昼なのに夜のように暗くなる描写が、後半の主人公であるジャガーが覚醒するシーンの伏線だったので、きれいに物語が繋がっていた。ジャガーの妻がとても綺麗であった。いじられキャラの子は死に際、ジャガーに命を託した。そのシーンもなかなか良かった。その子の妻は犯されていたので、可哀想ではある。主人公の生への渇望というものが見れた。ただ、運動量が高いだけではなく、知略を使って敵を罠にはめたりしている。敵側も少ないヒントに気づき、いいところまで主人公を追い詰めた。小説でいうと、佐藤究のテスカトリポカに世界観が似ていると感じたが、調べてみるとテスカトリポカはアステカ文明らしい。ただ、双方の作品にて生贄文化が存在し、かなりむごたらしい環境下だったので、おそろしい。日本で暮らせているのは本当に幸せだと感じる。後半は、完全に鬼ごっこだったが、とても引き込まれた。この映画を見て、アフリカに行こうという気持ちはなくなった。日本人として、このマヤ文明の人々の獰猛さやアグレッシブさは学ばないといけない。日本人はこの映画の人々ほど真剣に生きていない。このテーマとしては、恐れというものが挙げられる。しかし、主人公は苦しみを乗り越えていく過程で恐れというものがなくなっていった。その結果、目つきが鋭くなった。大事なのは、いきなり考え方を変えて恐れがなくなったというより、死にかける経験をする中で恐れというものがなくなっていったという過程である。私も、経験をしまくり、恐れを感じない戦士を目指そうではないか。少々、中二病みたいな思考回路になってしまった。

 

●作中に出てきた語句の意味

マヤ文明(マヤぶんめい)は、メキシコの南東部、グアテマラベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明メソアメリカ文明に数えられる。また、高度に発達したマヤ文字をもつ文明でもあった。セノーテという淡水の泉に育まれたため、他の古代文明とは違い、大河の流域でない地域に発達したという特徴がある。

監督 クリント・イーストウッド

脚本 ニック・シェンク

原案 デヴィッド・ジョハンソン、ニック・シェンク

製作会社 ダブル・ニッケル・エンターテインメント、マルパソ・プロダクションズ(英語版)、ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ、ワーナー・ブラザース

メタスコア:72

IMDb:8.1

 

マイスコア:☆4

テーマ:罪と罰

 

話の流れとしては良かった。しかし、はじめから警察に頼んでおけば、こんな事態にはなってなかったと感じられる。もう少し頭を使って行動しないといけない。感情的になってはいけない。変なプライドは必要ないのだ。ただ、はじめ誰に対しても、批判的で悪口ばかりだったウォルト・コワルスキーが隣のモン族との交流により、少しずつ心を開いていくさまはとても丁寧に描かれていた。はじめのシーンでは、懺悔を行うか否かを問うシーンがくる。そこでは、懺悔をしなかったが、終盤では妻に隠れて他の女性とキスしたことを告白したりしている。なんともかわいい告白である。人を殺した経験をしてから、毎日嫌な気分に囚われ続けていたので、それをタオに経験させたくない気持ちがあったのだろう。丸腰の自分を殺させることで、スパイダー一味を長期間牢屋に閉じ込める算段を考えたのはなかなかに賢い。汚い言葉を使うが、芯をとらえている。神父に童貞といったり、タオに対し、ふぬけといった内容の言葉を発したり、、個人的にヤノビッチ神父が一番好きだった。つねに冷静ではあったと思う。自分なら即警察に通報して、「触らぬ神に祟りなし」の精神で余計なことには関わらないが、コワルスキーはかなりタオに肩入れしていた。タオも見事ガールフレンドを手に入れていたので、よかった。しかしながら、コワルスキーの息子夫妻はひどすぎる。自己利益しか考えていない。特に、カレンが酷い。義理の父が死んでいるのに、グラン・トリノの相続を引き継げなかったことにため息を付く始末である。こんな女とはたとえ美人であっても、結婚したくないし、自分なら即離婚している。最後に丸腰で死んだのも、コワルスキーなりの懺悔だったのかもしれない。人種差別発言が多かったので、それはやめたほうがいい、とコワルスキーにアドバイスしたい。しかし、映画が終わる頃にはコワルスキーが好きになっていたので、不思議である。文献①では、暴力は暴力を生むので、そういうやり方はよくないことが書かれている。フォン一味がタオを根性焼きにしたとき、仕返しとして、コワルスキーがフォン一味のデブに銃で脅した。その結果、タオの家が銃で破壊された。まあ、当たり前の教訓なので、学びはない。

 

●作中に出てきた語句の意味

モン族 (RPA: Hmoob/Moob, IPA: [m̥ɔ̃ŋ]) とは、中国雲貴高原ベトナムラオスタイ山岳地帯にすむ民族集団ミャオ族の下位グループである。

●参考文献

①https://wdfmmovieusic.hatenablog.com/entry/grantorino