監督 黒澤明

脚本 黒澤明、橋本忍

原作 芥川龍之介『藪の中』

製作会社 大映京都撮影所

メタスコア:98

imdb:8.2

 

☆5

テーマ:人と人との相互の信頼

 

非常によくできた作品である。金沢武弘がどうやって死んだのかを考察する作品である。金沢、真砂、多襄丸はそれぞれ違う主張をする。ただし、3人とも共通しているのは、「自分が殺した(自殺を含む)」と主張している点である。要するに、三人とも見栄を張っているのである。しかしながら、「自分が罪を犯した」と発言して嘘をつく意味がわからない。自分が損するだけではないか?かっこよく罪を犯したかったのだろうか?よくわからない。多襄丸の証言によると、「じぶんは姑息な真似はしたくない」と主張していた。ただ、部分的には事実と同じだったので、そこまで嘘はついていないという印象。杣売りは事件の当事者じゃないので、事件自体は客観的に見れていたが、真砂の短刀は盗んでいた。大事なのは、客観的に物事を見て自分は嘘をついていないと本当に思っている人でも、自分の罪を棚上げしているのである。ただし、杣売りは自分から見ると善人であるというのもポイントである。多襄丸はなんですぐに金沢を殺さなかったのか謎である。罪を犯しながらも、自分は善人でありたいという気持ちがあったのだろうか。ラストシーンでは、旅法師は杣売りに失望するも、子供に対する対応を見て、人を信じてみようと思い立ったという展開になった。しかし、旅法師はすぐに人を信じすぎではないかと感じる。危なっかしい。旅法師の言動を見て思ったが、何かの宗教を信仰している人は善人であろうとする思いがかなり強いことがわかる。個人的には、下人に結構感情移入した。自分は今何不自由なく生活しているので、盗みはしないが、もし自分があの時代に下人として生まれていたら衣服を剥ぎ取っているのかもしれない。見た様子だと、あまり警察みたいな組織も機能してなさそうだ。下人の発言は割りと芯をついていたと感じる。羅生門の描写は非常にかっこいいものがある。ミロのヴィーナスみたく、半壊していることも含めて味がある。その門の下で、三人が話し合うシーンもなんともいえぬ描写である。こういうシーンは好きである。自分は、侍が出てくる映画は好きなのかもしれない。黒澤明と相性はいいのかもしれない。映画によって、監督の性格がわかるのが面白い。ポン・ジュノとは大違いなラストを迎えた本作であった。ストーリーの内容は藪の中を使い、舞台設定は羅生門を使うというなんとも贅沢な原作の使い方をしている。組み合わせて大正解である。