【これまでの物語シリーズ】
【プロローグ】私が、今の『家系』のお仕事を始めるまでの物語
ストーリー1、幸せな時間。そこから突然世界が変わった。←今ココ!
私が大人になって、幼少期の自分が愛された記憶といえば、
そこにはいつも叔母の姿がありました。
その姿は、世の中でいうまさに「子を愛する母親」。
寝る時も、
食事の時も、
買い物の時も、
常に愛されていたという事しか覚えていません。
そう、私はしょっちゅう、父の実家に預けられていたのです。
どうやら私の母は、
年の近い姉弟3人という環境に四苦八苦していたようです。
後になって分かった事ですが・・・
母自身が
自分と自分の母親との関係で生まれた軋轢を解決できぬまま
大人になり、女性、もしくは女の子に対して敵意を持っていた為、
娘の存在にすら、うまく適応出来ていませんでした。
従妹などは、私の母からこっぴどく無視をされた記憶があり、
怖い人だと思っていたようです。
そうは言っても、
私にとって母は「世界一綺麗なママ」で、当然のように大好きでした。
この時はまだ、
私は、何も困る事もなく、幸せな生活をしていたのだと思います。
私にとって、
そんな<それなりに幸せな生活>が変わっていったキッカケは、
私をかわいがってくれていた叔母が大病を患い、入院しだした頃から
です。
「必ず帰ってくるからね。待っててね」叔母は、私と約束しました。
家族に病人がいて入院をすれば、当然、私を預かることなどできません。
次第に、私は母との時間が増えていきました。
母も最初はきっと、
自分の心と葛藤したり戦ったりしていたのだと思います。
幼い子供3人抱えている余裕のなさにプラスして、
きっと父との葛藤も生まれていたでしょう。
そして、叔母が亡くなった日。
知らせを聞いて、泣き止まない私に、
とうとう母は、感情のままに手をあげてしまったのです。
この時の母は、
手を挙げてしまったショックで泣きながら私に何度も誤りました。
抱きしめて、
「ごめんなさい、ほんとうにごめんね」
「痛かったね、もうしないから」「ごめんね」と、
私の背中、頭、頬を撫でながら、何度も、何度も言いました。
(私の記憶では、母が母であったのは、この時が最後です。)
それ以降、
母は
急な坂を転がり落ちるかのように精神を崩壊させていきました。
「人が、人の形のまま、人でなくなる・・・」
わずか、6~7歳の子供が、
その姿をずっと見続けているというのは、かなり過酷な現実でした。
今でこそ、こうやって冷静に文章にできますが
ある程度の年齢になるまでは、私にとって
世界はいつも辛く、寂しかったのだと今は分かります。
ですが。
実は、後になって、
家族や周りの人に大切にされた記憶というのが戻ってきました。
いつの間にか、
私にとって
「世界はとても危険で、生きるのは辛いこと」という概念が
見えない透明なフィルターとなっていたので、
そのルールに沿わないものを
記憶の奥に閉じ込めてしまっていたようです。
そして、母がいなくなってから、
私の人生はまた大きく変わっていくことになるのでした。。。