西部劇の魅力 その2 自由民主主義をベースとした秩序の確立 | 映画の楽しさ2300通り

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【この記事には一部ネタバレがあります】

 

その1で辺境の開拓と定着を描いた庶民の物語について書きましたが、庶民たちが歴史的な物語の主人公になるのは、まさに米国の西部開拓史が、建国の支柱である自由民主主義を背景にしているからにほかなりません。

インフラのみならず法の秩序もいきわたっていない土地に定住しようとする庶民の生き方をベースとして、開拓そのものの話もあれば、辺境の地での苦労の話もある。
当然腕力(暴力)で自分の望みをとげようとする者がいる一方で、なんとか秩序を確立しようと奮闘する者の話もあれば、心ならずも秩序からはみ出た者たちの悲劇もあります。

それらもろもろのエピソードが自由民主主義という枠組みのなかで展開されます。
時代劇と比較するなら、西部劇には"主君の命"とか"お家のため"のような価値観はない。"ボスの命令"はあってもそれは食わせてもらったり給料をもらったりするからだし、「丘の一本松」などで描かれた"家同士の争い(Feud)"も利権が絡んだ諍いがこじれたもので、自由主義的な側面を持っています。
そんないわばやりたい放題的な自由主義を、多数が参加して公平・平等にそれぞれの幸福を追求する民主主義の枠にはめ、秩序ある社会を形成しようというのが西部劇のテーマのひとつです。

そこでは"法の秩序"が重要です。例を挙げれば「リオ・ブラボー」では、捕えた人殺しを正式な裁判にかけるべく留置する保安官(ジョン・ウェイン)たちと奪い返そうとする悪党一味が対立しますし、「追跡者」では酔った挙げ句のばか騒ぎではからずも人を殺めてしまったカウボーイの一団を追って保安官(バート・ランカスター)が遠い街からやって来ます。
合法ではないリンチ(私刑)の悪弊も長く残ったようですが、「牛泥棒」では居合わせた者たちにより非合法ながら簡易な裁判が行われました(写真)。
真昼の決闘」で結婚して退任した保安官(ゲイリー・クーパー)は、出所したその足で彼に報復しようとする悪党一味との対決が"私闘"であるという理由で、町民の支援を受けられません。
一方では 法の罠にはまって無法者として生涯を閉じる地獄への道」のジェシー・ジェームズ(タイロン・パワー)のような話も多く作られました。

誤って運用されこともあるとはいえ、辺境の地ですべての住民が安心して自由で民主主義的な(個人の幸福を追求できる)生活を送るため、法秩序の確立が重視されたこと、それを描いた西部劇に魅力を感じます。

 

 

ブロトピ:2023/09/02