映画評論家イーバートによる「ダーティハリー」と「シェーン」 | 映画の楽しさ2300通り

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先日ご紹介したアメリカの映画評論家ロジャー・イーバートですが、自分の愛する映画についてどんなことを言って(書いて)いるのか気になって、特にお気に入りの2本について、Google翻訳も使いつつ読んでみました。

ダーティハリー」については、日本版Wikipediaのイーバートの記事に、彼が"ファシスト"と位置付けていると書かれていました。で、原典にあたるべくrogerevert.comで検索してみると、評価は4つ☆満点中の3つ☆とまずまず。では肝心の"ファシスト"発言の部分はというと、このように書かれています。

 The movie's moral position is fascist. No doubt about it.
この映画の道徳的な立ち位置はファシストです。 それは間違いなし。(拙訳 helped by Google)

主として、(ダーティ)ハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)による、凶悪な犯罪者であるスコルピオ(ブルース・ロビンソン)の人権を無視した捜査、および最終的には死に至らしめる暴力について述べているのですが、評論の結びの部分ではこうも評しています。

I think films are more often a mirror of society than an agent of change, and that when we blame the movies for the evils around us we are getting things backward.
映画は変化をもたらすものであるよりは社会の写し鏡であることが多く、私たちが身の周りの悪を映画のせいにするのは順序が逆だと思います。(拙訳 helped by Google)

スリラーとしては評価しつつ、作品の持つ"ファシズム"は社会の反映だとしているわけですが、アメリカの銃社会を支える人々の"暴力には暴力だ"的メンタリティを考えると、納得のいく指摘であると思います。

またこの評論でイーバートは、映画「ダーティハリー」はイーストウッドが演じる基本キャラクターの延長と見ることができる(It is possible to see the movie as just another extension of Eastwood's basic screen character:)と述べています。確かに作品の基底を成すものは"西部の掟"にほかならず、ハリー・キャラハンは保安官というより、賞金稼ぎのガンマンか拳銃の得意なカウボーイに近いといえるでしょう。

であるからこそ、スコルピオを射殺した後に警官バッジを投げ捨てるシーンに意味があるわけで、イーバートもこのシーンについて(前略)in a thoughtful final scene, (後略)と書いています。
まさにこの部分を読んだことで、何故自分はハリー・キャラハンが「ダーティハリー2」で何事もなかったように現役復帰していることに不満だったのか、久しぶりに思いだしました。警官としての自分の適性に問題があると悟ってバッジを捨てたのであれば、「動く標的」のリュウ・ハーパーのように、警官ではなく警官上がり(くずれ?)の私立探偵かなにかで再登場してほしかったです。

シェーン」は堂々の4つ☆を獲得していますが、さすがにイーバートは「正義感の強い流れ者が悪を懲らして去っていく」的な話では終わらせません。「シェーン」には複層的な構造があり、それゆえに他の(「真昼の決闘」を初めとする)古典的西部劇のように古臭くなって(have grown dated)いない、としつつ、アラン・ラッドが演じたシェーンと言うキャラクターの"興味深い謎(intriguing mysteries)"について言及しています。

曰く、なぜ彼は

  • 通りすがりに農夫一家の助っ人となったのか?
  • 屈強なカウボーイたちのたむろする酒場に"ほとんど女性的な(almost effeminate)"服装で出向いたのか?
  • 死地に赴こうとするジョー(ヴァン・ヘフリン)を殴り倒して自ら対決に向かったのか?

確かにシェーンと言うキャラクターには謎が多すぎます。有名、B級含めその他の西部劇の主人公たちは、悪党や保安官や騎兵隊員だったり、カウボーイや農夫やギャンブラーだったり、背景や職業がはっきりしているケースが多いですが、シェーンはと言えば流れ者の上に目的もはっきりしない、どちらかと言えば後年のマカロニ・ウェスタンに登場するような、住所不定無職の男。「荒野の用心棒」でイーストウッドが演じたキャラクターに似ているとさえ言えます。実際、マカロニでさえ珍しいタイプのキャラクターではないでしょうか。

イーストウッドは彼が監督・主演した「荒野のストレンジャー」「ペイルライダー」に、素性が知れないばかりか生身の人間かどうかも定かではない流れ者キャラクターを登場させていますが、なんと「ペイルライダー」では「シェーン」のプロットやエピソードをまるまる流用しています。イーバートの「シェーン」の評論を読んで、イーストウッドが創造したと見えたあの謎のキャラクターの原典は、実は謎の人、シェーンだったのではないか、と思いました。

「ダーティハリー」の評価が満点でなかったことは残念でしたが納得のいく内容でした(からといって「ダーティハリー」愛がさめるわけではありません)し、両レビューとも面白く読みました。さすがに"米国で最も知られた評論家”と言われるだけのことはあります。
イーバートのレビューは基本的にネタバレ前提なので、未見の作品の評を読むには注意が必要ですが、自分が観た映画について、真摯に、豊かなウィットを交えつつ、映画に対する深い愛情と、彼個人の好悪やこだわりを全開にして述べるイーバートのレビューを読むのは、興味深く、刺激的で、気づきのある楽しい経験です。