アインシュタイン「恋愛行為を物理学は説明できない。」いや、出来ます!スミルノフ学派Dr佐野千遥 | フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

資本主義主力の株式会社制をも覆す、貴方を悩みと賃金奴隷状態から解放するフリ-エージェント世界革命を、誤った現行全自然社会人文科学を根底的体系的に批判し、一枚岩無矛盾の全新厳密科学体系を創り出した(世界史上これに挑んだ他者無し)FA大学佐野千遥教授が領導する

ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派:ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

                        

驚くべき事に、霊魂の厳密科学的存在証明をすると、従来思いつき的に好き勝手な事を言ってきた人間機械論の「人間の精神活動の科学」=「人文科学」(特に心理学)・「精神医学」を体系的に批判し尽くし、厳密科学化した新人文科学・新精神医学を確立する事が出来る!


生命体も物理的物体も物理世界において共に物理的法則性に則り運動・流転しているが、生命体と単なる物理的物体との基礎物理学的相違とは、既に論証した如く、前者が必要に応じて必要なだけエーテルを取り込み利用することが出来ることであった。そして生命の発生と、環境データの学習過程の蓄積により生じた反エントロピー過程(秩序増大過程、高度な秩序発生過程)=合目的的進化の連鎖の全ての過程の進展が必然化され、エーテルの時間に刻まれ記憶されてきている。宇宙の始原からの全ての流転・進展は因果律の連鎖に決定論的に基づき、生起してきている。


脳神経・精神活動は強力な反エントロピー過程である。例えばロジスティックス漸化式で生成される一見ランダムなしかし実は非線型的決定論的カオス・データ無限数列の影に隠れている関数をGMDH(Group Method for Data Handling)の多項式多様体により学習させると完璧に学習する事に成功して、無限数列は唯の1行の短い漸化式にまとまる。確率論がこのロジスティックス数列の先を予想するために学習を試みても完全に失敗する事は既に述べたが、一般に「学習」に確率論しか利用していない現行コンピュータ科学においては、予測のためにはロジスティックス無限数列を全部記憶しようとして、当然メモリーが幾ら有っても足りなく、記憶は不可能である事に現行コンピュータ科学者達は音を上げる。しかしこのロジスティックス数列をGMDHで学習して抽出した多項式1式をコンピュータに記憶させたなら、予測は幾らでも、何万ステップ先でもしかも正確に可能になるのである。ここでは数学的記号の表記のサイズが無限大が1行の数式に凝縮されるが、ここから分かるように、実際の生命体による学習時に精神活動はエーテル・エネルギーを分散状態から凝縮させて取り込んでいる事が分かる。


人が気分を一新して事に当たると、人生の進路が変わる事が有り、またその人が社会的に重要なポストに位置している場合には、その社会の歴史の進路が変わる。これは明らかに高度な秩序が生まれており、そこに高度な反エントロピー過程=エーテル・エネルギーの凝縮・集中が起こっていなければならない事が分かる。何故なら人間の頭の中だって物理世界であるには相違ないからである。気功の専門家達が「宇宙エネルギーを取り込む」と言っているのは、あながち嘘ではないのである。人間に自由が有るのは、この精神活動における必要な時に必要なだけエーテル・エネルギーを取り入れて、人生の進路・歴史の進路を変革する事が出来るからである。これとても物理世界における歴史の進路の変更なのだから、物理的にはこれ以外の説明方法は有り得ない。


更に、人間の記憶について考察してみよう。脳科学では昔から、人間が人生で経験した事の記憶は脳の中のどの部位に蓄えられるのか実験し調べ考察して来ているが、僅かに或る幾つかの特定な機能が脳の何処の部分が破壊された時に機能停止になる事から、その部位当たりに関係しているのであろう、と推定しているだけで、現在まで遂に人生の記憶そのものの収容部位は見つかっていない(世界で脳科学者No.1の米国サンディエゴのSalk Instituteセイノフスキー博士と佐野は顔見知りなので、彼に直接質問して確かめた事も有る)。つまり人工ニューラル・ネットワークのモデルはデンドライトに重み付けの数値を、シナップスに閾値を割り当てるのだが、これは外から情報データがその端子に届いた時、どう処理されるかを決するモデルであり、推論システムのモデルである。つまり、人工知能の推論モデルに準えるなら、ファクト・ベースにプールされて有るファクト集合(これ等が環境を成す)にルール・ベースに有るIf-Thenルールの中、そのIf部分にマッチするファクトが有れば、そのルールがトリガーして、If-TheルールのThen部分が実行されるために、その結果ファクト集合=環境自体が変化して、その変化したファクト集合にIf部分が合致するルールが次にトリガーして行く、等々の推論の連鎖に当たるのが、上述したニューラル・ネットワーク上のデンドライト・シナップスの連鎖であって、情報データはあくまで外からやってくるのである。「クオリア」=感性なる物も、初歩的ではあるが、外部から届いた情報データを脳神経のセンサーがキャッチして赤なら赤、青なら青という色等の初歩的概念に変換する推論システムであって、情報データではない。


実際、人は成長し永い人生を送っていくと、脳は当然幼少・若年の頃には未だ経験していなかった膨大な情報データを受け取り記憶していくのだが、若し本当に脳の中にそれ等が蓄えられて行っているのなら、人間の作った記憶媒体のように磁気素子の磁気の固定をしながら、脳の或る部位が年齢と共に肥大化して行くとか、大脳全体の厚みが増すとかが有って良いはずだが、そういう現象は一切観察されたためしが無く、むしろ年と共に脳細胞数、脳の総体積が減ってくる事すら明らかとなっている。


しかし人はヒプノーシス状態に有ると、昔々遥か昔に取り壊しになって、もうこの世に存在していない自分の我が家の柱に毎年兄弟同士背比べして付けた傷やら、汚れやら、庭の芝生の禿げちょろけの間を数百の蟻が走り回っているその光景を、数十年経っても微に入り細に入り全て一切合財を克明に思い出すことが有るのである。人の脳は、人間の作ったコンピュータでは度し難い実に考えられない程莫大な記憶情報を利用しているのである。


人間の作ったコンピューターの世界では、認知科学者ロジャー・シャンクがケース・ベイスト・リズナーを使って人間の理解システムをシミュレーションしようとして、スーパーコンピューターでも、せいぜい15分程度の講演を理解し記憶し処理できるだけで、それ以上永い数時間の講演や、一日の精神生活・その思考過程、一週間の精神生活・思考過程、一ヶ月の精神生活・思考過程、数ヶ月の精神生活・思考過程、一年の精神生活・思考過程、数年間の精神生活・思考過程、人生数十年に渡る精神生活・思考過程を記憶する事が全く出来ないことが明らかとなった。ただ記憶媒体だけ大きくすれば済む話ではない。それ程大きな容量の記憶媒体を今仮に導入したとしても、その中に蓄えられてある必要なデータを記憶容量がバカでかくなれば、リトリーブできなくなるという根本問題が生じるのである。しかし人間の現実の脳は、膨大な記憶の中から必要な物を何十年経とうともリトリーブ出来るのである。


更に驚くべきは、脳の或る部位と、別の部位との通信速度の速さである。通常、脳の全断面の静止画像を撮る事を目的に使われているMRIを脳の一断面に限定し、しかし生きた脳の何処と何処の部位がダイナミックに通信し合っているかを調べると、例えば脳の端の部位と、それから一番遠い端の部位とが同時に共鳴していて、脳神経内の神経細胞と他の神経細胞との通常の電気信号伝達速度では全く説明が付かない程の通信速度で互いに通信し合っている現場に遭遇する。

では人間の脳はどのような外界からの情報データ、記憶情報、高速通信媒体を利用しているか?答えは、エーテルとエーテル時間そのものを利用している。そのエーテル時間は各個人とその人生に密着したエーテルとその時間である。そしてそのエーテル時間は宇宙の始原からその人がどのように進化してその種が発生して生誕したかの全情報のみならず、その人が人生で経験して行く物を事細かに全て克明に記憶している。この各人に密着したエーテルとエーテル時間こそが、その人の霊魂である。よってその人固有のエーテルとエーテル時間は、その人が死んでも不滅となる。


[注釈1]:脳が利用している情報データ、記憶情報がエーテルとそのエーテル時間そのものであるから、何千万年の別々の環境での進化を経て別々の脳神経系を発達させた生命体が同一の物理世界を見た時の認識の間には、さほど差異が無いのである。


[注釈2]:先に述べた神の存在証明は、全てエーテルに、離散値のエーテルに関わっていた。今この章において、霊魂・霊とはエーテルである事が明らかとなった。カトリックにおいて「父と子と聖霊」言われる「聖霊」、イスラムにおいてもコーランの中で語られる「聖霊」とは、やはりエーテルである。というのは神とは彼等にとって抽象的な存在ではなく現実に存在するものなのだから、また死んだ物ではないのだから、生命=必要な時に必要なだけエーテルを取り込む機能を神は備えていなければならず、全知(エーテル時間)であっても全能でない神は、「聖霊」=聖なるエーテルを遣わして人にこの社会を正義と愛に満ち満ちた社会へと変革する使命を与える事もできる。そして世界の一神教が全て偶像崇拝を戒める時、それはエーテルなる物が形を持たない事とも合い符合するのである。


よって、恐れよ!最後の審判の日を!!人が人生でやった全ての良い事、悪い事は自己の霊魂=エーテルとその時間に克明に記録されて行っている。貴方がこの一瞬の夢幻の如き人生で、誰を、どの可愛そうな人を愛情を込めていたわってあげたか、それは全てエーテル時間に克明に記録され、死後その報いが必ず帰って来るであろう!


P.S. 私のように神や精神活動を概念付けする者が今まで現れなかった責任は、一つには宗教家達が余りに不正確な推論をする事に終始していた点にも帰されようが、しかしこれまで、科学と宗教の出会いがあれほどまでに語られても科学者の側から道理の有る提案が全く無かった事の責任は科学者達の側に有る。若し物理学が20世紀初頭にエーテルを捨て去っていなかったとしたら、今日までに私と同じように推論した科学者が既に他にも出現していたに違いないが、あいにく捨て去ってしまったために、今日に至るまで私以外世界の誰一人も、この当然過ぎる程、当然な事に気付いていない。つまり20世紀初頭、「科学」がエーテルを捨てた事により、神を捨てる事となって、「科学」は無神論となった。それ以来、社会科学、人文科学は厳密科学化への道を閉ざされ、正義と愛を忘れ、悪のやりたい放題の状態に陥り、今日に至っている。法学しかり、経済学しかり、心理学しかり、である。

その中でJay Abrahamのマーケティングだけは、素朴な自然人としての友人関係を顧客との間に先ず創る事を、つまり社会的愛を、その「卓越の戦略」の中で説いている事は特筆に値する。そして日本におけるJay Abrahamの代理人の鳥内浩一氏を私が特別視し、彼に連帯を表明するのはこの事による。


P.S. 仏教・神道関係者の方々は霊とは汚らわしい物で、輪廻の思想から人に乗り移る危険が有ると考えるからです。)、私の言う霊、霊魂は一神教のキリスト教やインスラム教で言う聖霊、霊魂のことであって、一神教においては死者の霊はもっと厳格に管理されていて、めったやたらと死者の世界の霊が生者の世界にやってくることはないと考えております。また一人一人生につき全面的責任を負う、という考え方に立っております。自分でも知らない前世の罪を負うということは有り得ないと考えています。そうしないと社会正義を明快に論じることが出来なくなりますし、理想社会を純粋に説く事も出来なくなります。


フリーエージェント大学:ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授


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