日々過ごしていると心の空洞を感じる
どうすれば満たされるのか、一生懸命探していた。
異性と遊ぶと少し満たされたような感覚を感じる。
ただしそれは長続きしない、
次第に弱まり、もっと心の空洞を感じることもある。
お金を稼げば満たせると思った。
貯金が増えるといくらか埋まったかのように感じた。
しかし、なぜかわからないがふと
こころの空洞を感じ始める。
おいしいものを食べても
一瞬だけしか空洞を埋められない。
家族を持てば、空洞を感じづらくなるが
やはり奥底ではぽっかり穴が開いていることを
感じざるを得ない。
仏教でいうと渇望。
常に渇いている状態。
6年ほど瞑想に耽った時期があった。
そのころは心は多少平穏で「まし」だったかもしれないが
やはりこの穴は埋まらなかった。
これまで生きてきて、
なぜ空洞を感じるのかようやくわかった。
誰かから絶対的に愛され、肯定してくれている感覚が無いからだ。
両親もいて妻がいて子供がいるのに
奥底から愛されている感覚が無いのだ。
もっというと
私は生きていてよいのか?という疑問に
答えてくれるものがないし
答えが見つからないからだった。
まさに何のために生まれて何をして生きるのか
まったくわからなかったからだ。
しかし、私はついに
ようやく
この空洞を埋められるたったひとつの方法がわかった。
本当は教えたくないが。
それは、神様を知り、神様が未熟な私を愛してくれていることを
受け入れること。
もう本当にこれしかない。
これはキリスト教徒かどうかなど関係無い。
この世界は神様が創造したが、人間に罪が入り、
それを帳消しにするために、ある罪のない人が死んでくれた。
私たちのために。
神様はそれほど私を私たちを愛してくれているということに
気づくこと。
こんな罪だらけでだめな私を愛してくれるわけがないという思いを
払拭し、
私は神様の愛を受け入れる。そして感謝する
そう決心したとたんに
心の空洞が完璧に埋まったことを体感した。
もちろん受け入れるには時間がかかった。
なぜ無償で愛してくれるのか疑問を持ったこともある。
そのたびに調べて、納得して
繰り返していくたびに
神様の愛を強く感じていく。
こんな私でも生きていて良いんだと初めて実感した。
この瞬間も神様に愛されており
私はその愛を受け取って、
周りの人にもその力を与えることができる感覚。
イエスキリストが言った
汝の敵を愛せよ
という意味が、もっとより明確になってくる。
頑張って、根性出して人を愛するのではないこと。
神様の愛を私が受けて、その愛を今度は周りの人に
与えるということ。
これが真に理解できつつある。