「汝の敵を愛せよ」

というのは一度は聞いたことがあるフレーズだと思う。

これは新約聖書でのイエスの言葉。

 

自分を愛してくれる人を愛するのは簡単

自分を侮辱するもの、悪口を言うもの、呪ってくるもの

そんな人たちを愛しなさい。と。

 

今まで私は、これは崇高な道徳者や規律を厳しく守る系の指導者など

そんな人たちにしか関係ないのではないかと思っていた。

 

しかし実は自分でもできそうであり

どうやら自分の忍耐で必死で耐えろという意味では無さそう。

ということを知った。

 

神様は悪人のためにも太陽を照らし、雨も降らせる

要は悪人にとって生きるためのメリットになることも行っている。

 

それはなぜか?

悪人は悪人のままで良いから神様はそうしているのか?

 

どうやら違う

悪人にもイエス様を知り、信じ、救いを受けて欲しいから

そうしているのだ。

チャンスを与えている。

 

神様はその人が救われるのを待っているのだ。

 

神様の御心がそのようであるなら

私たちは悪人にどうしたらよいか??

 

それは、神様と同様、悪人に対して、

早くイエス様を知り、信じ、救われるように祈ることだ。

悪人を呪う気持ちも起こるかもしれない。

しかし、早くイエス様を知り、救われるようにと祈る

これが神様もイエス様も私たちに望まれている生き方なのではないか。

 

そして、世の中見渡せば悪人だらけだ。

「善人はいない。一人もいない。」

と聖書に書いてある。

私もあなたも親も兄弟も親友もすべて悪人であり

罪を持って生きている。

私もあの人は全員、あの人はどう見ても悪人などと

勝手に線引きして生きている。

自分も悪人なのにである。

 

話がそれてしまったが、

汝の敵を愛せよというのは

自分が敵と断定したした人がいるなら、

その人を憎むのではなく、

イエス様に出会うことを祈ることが大切であり

それこそが本質であることを知った。