障害のある人や生活保護を受けている人のための支援を行う施設が、
「好ましくない生活態度が改まること」といった意味あいもある微妙な言葉、「更生」を使って、
「更生施設」と呼ばれていることに、何か違和感を覚える……という話の続き。
これについて改めて考えるきっかけになったのが、最近見た映画、『路上のソリスト』(2009)だった。
路上のソリスト /ロバート・ダウニーJr.,ジェイミー・フォックス,キャサリン・キーナー
二弦しかないヴァイオリンで、驚くほど美しい音色を奏でるホームレスの男性に出会ったコラムニストが、何とか彼を”「更生」させようと”(具体的には、精神科の治療を受けさせ、音楽に戻らせ、ちゃんとしたアパートに住まわせようと)奔走する話。
一見、コラムニストの行為はいたって人道的で、正しいことのようだ。何たって、ホームレスの生活は厳しい。感動的なほど音楽の才能にあふれた人間にならなおさら、医療や、もっとましな生活を与えたいと思うのは、人情かもしれない。
けれど、ホームレス男性は必ずしも自分の生活が悲惨だとは思っていない。路上生活者の保護施設は好きではないし、アパートで壁に囲まれて暮らすのは幻聴との戦いだ。コラムニストが企画したリサイタルも、精神的負担が大きすぎた。好きな音楽を路上で好きなように奏でる自由な生活にこそ、彼の心の平和があるのだ。更生を目指すコラムニストとホームレス男性の関係は、次第に緊張していく……。
この映画について、「更生」という言葉を使っていたのはWikipedia日本語版。確かに「立ち直る」といった意味あいでは、コラムニストの目指したものは「更生」に違いない。
しかし映画の中では、コラムニストのとった行動は必ずしも、本人にとって生活の改善や、精神的な充足には
つながっていかない。
更生とは何か? 本当にその人のためになる支援とはどんなものだろうか? というのが、
この映画の投げかけている疑問だと思う。
