「小さな白いウサギのぬいぐるみ」のタマシイ | アリス高崎障がい者就労継続支援

アリス高崎障がい者就労継続支援

群馬県高崎市にある障がい者就労支援施設です。
心の病の方が主に利用しています。
安心感と楽しさと仲間同士のつながりの中での回復を一緒に目指していける、そんな場作りを心がけています。
悩みをゆっくり話せる個人相談の時間も大切にしています


 

 

 

「小さな白いウサギのぬいぐるみ」

のタマシイ



アリス高崎
ブログ担当 N です



アリスの相談室のテーブルの上に

「小さな白いうさぎのぬいぐるみ」

が置いてあります。


ある日、1人のメンバーがゲームセンターの UFOキャッチャーで獲得してきたということで、
それをアリスに持ってきてくれて、プレゼントしてくれたわけです。

その UFOキャッチャーで獲得したものが
「小さな白いうさぎのぬいぐるみ」
でした。

プレゼントしてもらったから、施設のどこかに飾っておこうと思ったんですけど、
どこに置こうかな?
とちょっと考えて

僕はその
『小さな白いウサギのぬいぐるみ』
を 《相談室》 に置いておくことがとても必要のような気がしたのです。


そしてアリスの相談室のテーブルの上に
『小さな白いウサギのぬいぐるみ』
が置かれました。


それから
小さな白いウサギは、

ずっと相談室のテーブルの上に置かれ続けています。



施設の相談室というのは、極めて個人的なことが語られる場所です。

それぞれの様々な人生の物語が語られたりします。

みんな、精神の障害、心の病を抱えているわけですから、
その人生の物語は、
そりゃあ…やっぱり…それなりに…いえ…とっても…
様々な辛い過去を抱えていたりするわけです。

その様々な辛い過去と現在を抱えながら、
そしてこれからどうやって生きていこうかという話が、
アリスという空間の小さな相談室の中で、
何時間も何時間も語られていくわけです。


そこで語られる人生の物語は、
そんな過去と現在と未来をつないでいく話ですから、

そこには様々な不安がはあったり、

自分を責め裁いてしまうような罪の意識があったり、

人が怖いという想いがあったり、

自分を徹底的に否定したくなってしまうような心があったり、

もしくは自分の体を傷つけてでも、
一時の安息を得なければならないような心があったり…

そうした様々な苦難の人生の流れの中から生まれてきた、心の揺れや痛みや不安は

大抵の場合、

「こういう風にしたら解決ができるよ」

というようなアドバイスはほとんど意味をなさず…

僕は相談室でそうした話に触れるたびに
ただただ無力な自分として、
共にその時間と空間を過ごすのです。

無力な自分として
一緒にその物語の中に居続けようと願うのです。

きちんと無力な存在でいたいと思うのです。


その人の問題が
簡単に解決できるようであれば…
さほど悩まないでしょう。

自分自身を苦しめることも…
さほどないでしょう。


だから安易な励ましの言葉で問題を解決してしまおうとするのではなく、

その相手の背負い続けている心の歴史を、
簡単な解決できないものとして認識し、

そしてその問題の大きさの前に、
何もできない無力な自分自身として
それを自覚して一緒に居られるように努めているのです。

せめて僕にできること、
それは、

その人間が
「解決できないような人生の大きな苦難を背負いながら生きている人」
であると

敬意の想いを持って見つめ続けるということです。


それは
その人が
『とてつもない苦悩の人生を背負って生きている尊い人間だ』
という証になると思うのです。


その人が
『大きな苦悩を抱えて生き続けている人間』
として
尊重することを
せめてしたいと思うのです。

そこにその人の『尊厳性』を感じたいのです。


しかし…やはりすぐに解決の糸口も見えないような大きな苦悩の話の前に…
無力な存在として居続けることは…

それはなかなか…

たやすいことではないと深く感じます。




そんな感じで
毎日お話を聞かせてもらっている日々を続けているけど、

家に帰ってベッドに入って明かりを消して眠る前に

しばしば昼間聞いた相談室での話を思い出していると…

不思議と…頭の中に…
ポカリポカリと

あの相談室のテーブルの上に置かれてあった

「小さな白いうさぎのぬいぐるみ」

が、脳中の暗闇の中にボンヤリ浮かんでくるのです。


そして僕は昼間様々な苦悩の話を聞かせてもらっている時、

あの

「小さな白いウサギのぬいぐるみ」

に、心のどこかで…ぼんやりと…

そこに…

希望に通じていくような何かを見いだそうとしていたような…

心の奥でそれを探していたような…

もしくは希望に通じる何かを心の奥がそこに感じていたような…

そんな気がするのです。


目の前の人がどんなに大きな苦悩を抱えた人生を歩んでいたとしても、
決してけがされることのない
「心の本質」


そのテーブルの上に、ちょこんと置かれている

「小さな白いうさぎのぬいぐるみ」

に投影している自分に気づくのです。



小さく白いウサギのぬいぐるみの

その白さの中に

「白い無垢なるタマシイ」


を、投影して感じている自分がいつもいるように感じます。


相談室のテーブルの上に置かれている

白いウサギのぬいぐるみの
そこに投影させ、見いだそうとしている何かを

僕は大切にしたいのです。


白いうさぎのぬいぐるみに投影している

誰の心の奥にもある
決してけがれることのない
『白いタマシイ』


僕自身の
『小さなうさぎの白いタマシイ』


共振するようにして、それを感じてゆきたいのです。



そしてそこに希望を託していきたいのです。

いつでもいつでも

どんな悲しみの前でも

どんなに深い闇の前でも

どんなに深い自己否定の嘆きの前でも

僕はその話の前で
何も解決できない無力な存在として一緒にいながらも

テーブルの上にいる

「小さな白いうさぎ」

の中に現わされている

その人間の決してけがされることのない
否定されることのない

「白いうさぎのようなタマシイ」


から

僕の心のまなざしを離さないようにしたいと、

いつもいつも
僕の中の


「白いうさぎのタマシイ」


が願っているのです。





そして僕は思うのです

もしこの世界の中心点が
あの相談室のテーブルであったなら、

そこにある、あの


「小さな白いうさぎのぬいぐるみのタマシイ」


希望を託したい。



世界の中心点にある
白いうさぎのタマシイ に

この世界の希望を託したい。

そう願うのです。




 ……………………………


この記事を書き終わった後、
たまたまニュースを見ていたら、ウクライナから避難している家族の映像が映し出されていました。


家族で避難している中で、
小さな男の子が
『小さな白いワンちゃんのぬいぐるみ』を
抱きながら避難している様子が映し出されました。

男の子は
小さな白いワンちゃんのぬいぐるみ
をカメラに振っていました。



僕はあの

小さな白いワンちゃん

の中にも希望を託したいです。


ワンちゃんであっても

ウサギちゃんであっても

そこに写し出される 『小さな白いタマシイ』 に

希望を託したいです。

希望を託したいです。