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明訊宏のブログ

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 珠洲原レナにとって姉、君子はさいしょから完全な存在だった。

いきなり、5歳のときに家に現れて姉という地位を手に入れた。彼女の記憶の中だと、その発言者は母親なのか、君子本人なのか、おそらく春名ではあるまいが、よく覚えていない。もしかしたら、彼女が持っていたクマのぬいぐるみかもしれない。それはレナが夢の中でよく見ていた物体なので、難なく見知らぬ人を姉だと見なせたのかもしれない。

 単純なことに、そのことだけであたかも、過去からずっとこの家にいたかのような錯覚を持ったのである。そして、無意識のうちに君子が実の親を探ることを禁ずる同盟の参加者となってしまった。

 幼稚園の友達はみな姉や兄、もしくは妹か弟がいた。しかし、彼女にはそれがいない。何の偶然か、この少子化の状況にあって彼女が通う学び舎にはきょうだいがたくさんいる子供たちばかりが通っていたのである。

 そのことも君子に対する親しい感情の助けになったかもしれない。ともかく、それらの認識が邂逅した当日に彼女の小さな頭のなかですべて処理が行われたのである。そして、5歳と6歳の年齢の違いは発達的にただでさえかなりの違いがあるだけでなく、彼女はその境遇のせいか、同年齢よりもはるかに発達の階段を先に上がっていた。

 べつに、レナが平均よりも劣っていたというわけではない。彼女は彼女なりに知的に優れた幼児ではあったが、とうてい君子にはかなわなかった、ということである。そのときから無意識のうちに彼女の弱みを嗅ぎ付ける人生が始まったといっていい。その一方で、姉を敬愛する気持ちは深いのだから、生きながら身体を裂かれるのにふさわしい苦しみを味わっていた。

 だが、それを単純に面に出すような子ではなかった。ひょうきんという仮面をかぶることで君子という存在と同等の存在感を見せようとしていた。

 彼女が、母親の車に忍び込んだのはそれが原因である。母親が化粧をしている隙を狙って車に忍び込んだ。後ろの席の鍵がロックになっていなかったことが彼女に味方をした。彼女の母親は外見からすると抜け目のない人間に見られがちだが、意外なぶぶんがあってたまにロックを忘れるようなことがある。レナはそれに賭けたのである。

記憶に残る母親の声は少しばかり上ずっていた。常に沈着冷静な彼女らしくない。おそらく、彼女にとって重要なことが起こったにちがいない。

それが姉にとってよくないことだと、何となくだが感じ取った。

言葉のすべてが聞こえたわけではないが、端々から姉の学校のことで、彼女が何やら問題を起こしたことぐらいは推察できた。

 だが、あの憎らしいプラナタスの並木のせいですべてはおじゃんとなった。母親にしかられた際、たまたま彼女の視界に入っていたために無理やりに罪人にされてしまった。

 母親はあくまでも帰宅するように改めて命じてくる。

 ここから家までは子供の足でも帰れない距離ではない。子供という特権身分をかざすことは無意味だと母親の声の調子からも十分に読み取れる。しかも、だんだん声の調子が凄みをましてくる。

「いったい、どうしてこんなことをしたの?」

 まさか、レナが君子の弱みを握りたいがために乗り込んだなどと夢にも思っていない。どんな有能な精神科医も自分の家族や特に親しい友人は患者の対象になしえないように、作家もまた娘たちの間に発生しつつある問題の萌芽に気づきようがなかったのである。彼女にとって意識の集中は君子に向かっており、それを純粋な愛情だと取ったことに関して、レナを責めることは過酷というものだろう。

 それはともかく、この時点においては、絹江は、娘たちの間に複雑な感情があるとは夢想だにしていなかった。彼女には彼女の目的があって、それへの対処に感情エネルギーを浪費してしまい、レナにまで目が行き届かなかった。そのことが実の娘にとっては不満だったことは言うまでもない。

 だが、本人も何が不満なのか、その理由がわかっていない。いや、不満であるということすら認められなかった可能性すらある。この二人についてもっとも明晰に洞察していたのは春名である。二人に春名ママとまで呼ばれ、珠洲原家において疑似、いや、事実上の

主婦となりえた彼女こそは絹江と同席して学校に行くべきだったかもしれない。彼女ならばレナを慰められたはずである。

 いや、この時点において絹江は、娘が何を思い悩んでいるのかまったくわかっていない。ただ、いつものひょうきんな顔が困ったところに顔を出したていどにしかみなしていなかったのである。もしも、あの歌手がいればその辺を洞察してうまく対処したかもしれない。

 だが、彼女はここにおらず、二人とも頼ることはできなかったわけである。

 だから、心にもないことを吐く結果となった。

「お姉さんが心配なの」

「心配なら家に帰りなさい」

 母親は娘にドアを開いて回り右をして帰ることを促す。

 これからすぐに学校に行かないと、お姉さんがおまわりさんに連れて行かれちゃうわと言おうとして、とっさにレナの年齢を考えた。そうだ、彼女も来年は中学に入る。次に、彼女は大変に忌々しい想像をした。

 君子が同じ年齢のころはもっと大人になっていた。

 その文章が海馬から意識に転載されてきたとき、意味の分からない不快感が彼女を蝕んだ。

「さあ、さっさと帰りなさい!レナ!」

 この車の所有者はこのときほど、所有物が高級なクラシックカーであることを悔やむことはなかった。同じ高級車でも新しい型ならば自動ロックであり、間違ってもそれが外れるなどということはありえないからだ。

 そして、その理由はもうひとつある。この車の旧所有者は、今は亡き珠洲原直樹なのである。

 二階堂久子