明訊宏のブログ

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 珠洲原レナは、自分と血縁関係にある君子と、ほぼ同等だと認めている久子を見据えた。キッチンの洗い場に腰かけているために、低い背丈というハンデを乗り越えて、彼女とほぼ同等の立ち位置にいる。

 それでもなお不満を抱いたのか、立ち上がって、まるでエウロペにある古い教会の出窓のように奥まった先に座った。

 疑似妹の、まるで王侯のような態度に毒気を抜かれてしまった久子は、こう切り返すしかできることがなかった。

「なにしてるの、そんなところに座ったら春名ママに叱られるわよ」

 それが、さきほど自分を戒めた、子ども扱いしていることに気付いたのは、言い終えて後のことであった。こぼれたミルクはもう戻らないとは、英語のリーダーでやった文章だが、リヴァプール語の単語が活字となって白い壁に刻印されているのがみえる。

 レナの顔が発熱したときのように真っ赤になっていく。

 先ほどの口調を思い出してみると、まさに赤ちゃんに諭すように言っていたことを思い出した。まったく意識していなかったが、これほどまでに傷ついていたとは想像できなかった。どうすべきか、どう言って宥めるべきか、いや、宥めるという上から目線の態度そのものがこの状況に当てはまらないことに久子は気づいていない。

 死んでやるという、彼女の携帯越しの言葉がよみがえる。

 まさか、あの窓を開けて飛び出るつもりだろうか?まるでマンションとはいえない豪華な内装に意識が騙されるが、ここは55階なのだ。何かに挟まるとか可能性の低い出来事に賭けない限り、とうてい助からないだろう。

 思いつめた疑似妹の顔から彼女の視界を外してはならない。それは少女の意図を透かして見せる結果となろう。できるだけ黒目を浮かさないようにして、こっそりと移動する。

「なにしてるの?久子姉」

 すでに言葉が通じないとみなしている時点で、上から目線は完全に引き戻せない段階に突き進んでしまっていた。

 自分よりもしたから見上げられているにもかかわらず、レナは見下されていると感じている。ちょうど、上がってしまった若い歌手や役者などが舞台でそうなってしまうのだろう。何か言わねばならないと思った。このまま自分はだれからも見下され続けるのだろうか?しかし言葉は出かかっているのだが、喉で何者かに堰き止められている。それは古い記憶のせいだろうか?

 何だろう?この感覚は?自分はこの上でたったひとりのお姫さまだったはずなのに、いきなりその地位を奪われた。

 深い昔にあまりにも幼かったために言語化できなかった感情の複合体が、いまこそ、外に出てきた。

 少女はしかしそんなことは完全に意識に昇らせているわけではない。ただ、もっと、珠洲原レナをひとりの人間として認めてほしかっただけである、単なる可愛いお人形さんとしてだけではなく。

 それを完全に言語化する能力はまだ彼女には身についていなかった。それゆえに行動出るしかなかった。疑似姉に尻を向けなり窓に手をかけた。

 数秒前からそれを久子は見抜いていた故に開く前に手を差し伸べて、疑似妹の愚行を計画策定寸前に阻止した。

「何をばかなことをしてるの?!」

 80年代のドラマよろしく平手打ちを食らわせる。だが、ドラマの登場人物のように簡単に涙したりはしない。ふてくされた顔をこちらに向けているが、黒目はあさっての方向をうろうろしている。こんな顔でも端正なのは、母親である絹江の血を引く故だろう。姉の君子もふたりとは別種類ながら、美貌は美貌だ。

 こうなったらドラマを地でいくしかない。

「久子姉の目を見ながら言えるかしら?あなたは何をしようとしていたの?」

 まるで小学校の低学年といっても通用するほどに小さな身体をゆえに、小柄な久子であっても完全に力で抑え込める。ここはそうすべきだった。本能がそう語っている。けっして、こんなバカなことを考えさせないようにするために、彼女は持てる力を最大限に使うべきと判断した。

 レナは、自分が得ようとした以上の果実を手に入れようとしていることに気付こうとしていた。まさか、この久子姉がここまで過激な態度に出るとは夢にも思っていなかったのだ。せいぜいで優しく慰められる程度に踏んでいた。これがオトナ扱いしてほしいと望んだ人間の本性である。

 悲劇は、その瞬間まで情けない自分に気づいていなかったことだ。

 久子姉は、身体全体で、まるで柔道のように抑え込んで即答を要求してくる。レナは、それも含めて自分がすべて望んだことだということを、あさっての方向に投げ去ってしまっていた。

「や、やめて、苦しい」

 めちゃくちゃに手足をばたつかせて、この危機から逃れようとした。助かりたい一心だから、どう動かしかなんて覚えているはずがない、たしか、何か硬いものにぶつかった瞬間に、自分を戒める枷がすべて外れた。そして、同時に何かを剥ぎ取った。そちらを見ていなかったので、久子の皮膚をそうしてしまったかのような恐怖感がレナを襲った。

「ィ、痛いィ!!」

 小さな悲鳴が上がった。

少しばかりのタイムラグがあって・・・。それは疑似妹に余計な心配をさせないという彼女なりの配慮だった。だが、人体組成プログラムは自分を住まわせている魂のわがまま通りに動くわけではない。彼女の、古傷と呼ぶにはあまりにも新しすぎる、その通りだ何せ君子によって間接的にせよ傷つけられたわけゆえに、傷から鮮血が零れ落ちた。

「ひ、久子姉!!」

「騒がないで、大丈夫だから」

「あぁぁっぁぁぁ!?」

 泡を食ったようなレナは、まるで自分が最初から傷つけたような罪悪感の底なし沼に頭から突き落とされた。