Always smile -4ページ目

Always smile

めぐりあえた世界に感謝をこめて…



milano


モンツァをあとに、ミラノへ戻ってホテルで一休みニコニコ

真っ青だった空は少しずつ夕暮れに向かっていました。

もう一出かけしてみようと地下鉄に乗って、ドゥオモ広場まで。

出口を上がるといつかの晩夏に訪れたあのドゥオモが出迎えてくれました。



冬にしては暖かな気候だったので、ふと「ジェラートが食べたい」と思うほどソフトクリーム

早速、SAVINIに行ってみましたが、まぁ、冬ですからね…ジェラートのスタンドはありませんでした。

ショップを覗いて、街歩きをしてドゥオモ広場に戻る頃には、夕暮れが夜に向かうその一瞬のはざまに見せてくれる濃い青の時間になっていました。

本当に美しい…星空



平日のこの時間、観光客を除けば帰路に向かう人や、仕事帰りに一杯のコーヒーで憩う人、また仲間たちとテーブルを囲む人、ショップに立ち寄って品定めする人…どこの国でも同じ光景が見られました。

ミラノの何が他都市と違うか…というと、やはりオシャレな人が多いということでしょうか。決して華美ではないのですが、質の良いものをさりげなく日常使いしている。色使いだって決して鮮やかな色使いではないけれど、「実に良い色」が溢れています。

何しろ言葉やその他、総じて「濃い」のですが、実に上手くフィットしています。

またそれがこの町にはよく似合っていますグッド!

ホテルに戻り、冷やしておいたスプマンテを開け、ストラスブールでもとめたワイングラスに注いでみました。

窓を開けると心地良い風が入ってきます。

夏とはまた違うけれど、冬にしては優しく穏やかな風です。

やっぱり旅して良かった…

そして、そろそろ次の旅に出かける頃のようです飛行機



九州地方の地震、未だ余震が続いており、町村部では孤立状態が続くところもあるとのこと。

犠牲となられた方に心からお悔やみを申し上げます。

いつか旅した場所があのような状況になっているというだけで、報道から目を離すことが出来ません。

熊本、そして大分。

竹田の趣き、阿蘇の雄大な景色、山間の美しさ、人々の温かさ…

自分に何が出来るか、状況は刻々と変わるので、それに応じて考えていかなければなりませんが、今の時点で離れた場所にいる自分が出来ること…

それぞれの立場で、自身の生活を第一にした上で、余る力を困難な立場にある人や場所に委ねること。

旅を通して教えられた私なりのHow toを考えたいと思います。


monza

ボローニャからミラノへ戻るのにチョイスしたのが、フレッチャロッサチョキ

普通列車が停車するホームからは少し(いや、かなり歩いた)距離がありますから、時間に余裕をもって動くことをお奨めします。

フレッチャロッサはイタリア版の新幹線のようなものです。赤の車体、デザインもさすが素敵で車内では速度が表示されるのですが、300㌔超えたときは思わず「おぉ」と唸りました。

イタリアの幹線を網羅しているようで、これは次回からの旅に良いヒントになりそうです。

ボローニャからミラノまでは1時間時計

あっという間の到着となりました。



2日ぶりのミラノ中央駅、この日は快晴、青い空は冬であることを忘れさせてくれるほど晴れ

お昼前でしたが、ホテルもチェックインをさせてくれたので、荷物を解体して一休み。

お部屋には小さなベランダがついていたので、窓を開けて深呼吸。

あまりの陽気に窓をあけて日向ぼっこしてしまいました。

あ~、幸せ。本当になんて幸せなんだろう。

フランスからスイス、そしてイタリアと旅を重ねるうちに取り戻していたようです。

星自分で自分の時間をコントロールする力星

日常の出来事に追い立てられて、失くしていたものはそれだったのですね。

だから居心地が悪く、どうにも不快で、でもどうしてそうなのかが分からないまま日本を出発して、はるか彼方の地まで来て気づかされた、とってもシンプルな理由。

太陽を浴びて、最終目的地までたどり着いて何だか安堵したのか、「もうちょっと出かけてみようかなぁ」と思い立ち、タブレットを持ち出してミラノ近郊の町を検索してみました。ミラノから電車で20分ほどの場所に、Monzaという町があるようです。

電車の時刻を調べると、結構本数もあるようで…さぁ、出かけてみましょう!ということで再び中央駅へ走る人

モンツァはF1グランプリ開催地としても有名な、北イタリアの小さな美しい町あじさい

駅から徒歩15分ほどで旧市街にたどり着けました。これが想像以上に素敵でした。

治安も良く、暖かな太陽のもと石畳の道を歩いていると、どこか南欧を思わせるような黄色やピンクの壁をした家が立ち並んでいます。

聖堂近くの広場の裏手に、とても賑わっているピッツェリアを発見。

地元の人がたくさんのお店にハズレなし!飛び込んでみて大正解グッド!

もっちりしたピッツァと、スプマンテ。この一杯は何ものにも替えがたい…カクテルグラス

美味しい食事とお店を飛び交う活気にたっぷりの元気をもらいました。



いつかの旅で、モナコから国境を越えて最初の駅、Vintimilleというイタリアの駅でミラノ行きの列車待ちに、ガイドにも載っていない町をぶらりと歩いたことがあります。そのときのことを思い出しましたハチ

夏の終わりの真っ青な空と、地元の人たちでにぎわうBAR、ピッツァとスプマンテ。

姿勢を保ちながら、でも心がどんどんと緩く、ほぐされていくのを感じたあの瞬間と同じ感覚。

佇まいは失わず、でもそうやって満たされていく自分が何より心地良い…

どんな自分が自分として最もあるべき姿なのか。そうあるには何が必要なのか。

また旅が私に教えてくれましたプレゼント

とても好きな言葉があります。何だか、この言葉がよぎりました。



「どこに住んでいても、どこにいてもその人次第なんですよ。その人がどうするかが問題なんです。しゃんとした人は、どんなところでもしゃんとしていて、だめな人はどこに行ってもだめなんですよ。きっとそうなんだと思う…」 かもめ食堂より


modena

パルマからモデナへ移動地下鉄

さほどの距離ではないのに、モデナに近づくにつれて青空が晴れ

これは嬉しい!

やっぱり人間には太陽と青い空が必要です虹



駅を降りて、世界遺産のモデナ大聖堂を目指してテクテク歩き。

かなり複雑な通りに翻弄されながら、人の気配と動きがある方向へと進んでいくと…ありました!!

濃い青の空とモデナの大聖堂ニコニコ

美しい!!

広場に面したBarに入り、コーヒーを飲んで一休み。

コーヒーとオーダーして気づきました。そうだ…コーヒーだとエスプレッソが来る…

…が、予想に反してとっても美味しかったですチョキ

カウンターでお喋りをしながら、一杯のコーヒーを楽しむイタリアの人たち。

いいなぁ、こういうの。

特にフランス、イタリアのカフェ、バールの風景は見ているだけで本当に楽しい。

ふと携帯を見るとメール着信が。

何かと思ったら行きつけのイタリアンのマスターからのメールでした手紙

なんでも、ちょうど共通の知人のイタリアンのシェフがお店に来ていて、私がたった今、イタリアに出かけてるという話から、「じゃあ、ボローニャなら日本に入って来ないパスタがあるから、お土産にもいいよ。」という話になったようです。

初めて聞くそのパスタの名は「グラミーニャ」ナイフとフォーク

Barwi-fi完備だったので早速、タブレットで検索してみると、おぉぉぉ~あるある!

東京とモデナ、時差も距離もなく情報や知恵のやりとりが出来る。


時代ですね~にひひ

そしてその筋のことはその筋の人から教えてもらうのが一番。

便利の恩恵を享受しつつ、知恵を授けてくれる人の輪に感謝感謝。

この人の輪というものだけは、技術の発達とは全く関係なく、太古の昔も今も何ら原理は変わらないもの。

「新」なる技術が進歩したから人の輪まで築けるかといえば決してそうではなく。

便利な世の中になったなぁとはいっても、人の輪は自分に便利なように用意されるわけでもなく。

人と人は向き合って、その和を輪にしていく。「旧」なるもの。

技術が持ちえない「心」がその中心にあって、これだけは変化することなく、廃れることもありません星

「モデナにいるので、ボローニャに戻ったらスーパー行って探してみます~」と早速返信して、ボローニャに到着後、早速スーパーに出かけて大量のグラミーニャを仕入れました。

イタリアのスーパー、初体験でしたがかなり楽しめました。

(ミラノへ戻る荷物がものすごい量になっていたのは、殆どがこのグラミーニャの仕業。

ミラノのホテルに到着したとき、屈強なイタリア人ホテルマンも「なんだこの重さは!」と驚いていました。叫び)

パルマ、モデナと巡りボローニャに戻ると「街に戻ってきたなぁ~」と実感。

パルマもそうですが、モデナはまだまだ観光地化されておらず、それだけにエミリオ・ロマーニャの原風景を垣間見れたような…。

こういう途中下車も良いものですね。

モデナ駅の待合室でボローニャ行きの列車を待っていると、また一通のメールが。

ミュンヘンを旅したときに知り合った九州に住む友人からでした。

新年の挨拶に続けて「もしかして冬の旅に出ていらっしゃる頃でしょうか。」

はい、正解ですグッド!

「あれ?見えてましたか??今、モデナにいます。」

帰国後の再会を約束して、ホームに向かい「新」と「旧」のそれぞれの恩恵を感じながらモデナをあとにしました。



「昨日の自分」より「今日の自分」のほうが、経験を足した分だけ味わい深くて豊かになる。人生はその積み重ねですから生きれば生きるほど、知恵も感性も人の輪も広がっていく。だから私は今がいちばん楽しいんです。 コシノジュンコ


palma

ボローニャの町を、ゆるりと何とな~くふらりとした翌日は、電車に揺られてパルマ、そしてモデナへの小旅に出発です走る人


パルマといえばパルマハム、チーズ、リゾットとまたこちらも美食の町。

モデナといえば、バルサミコ酢で有名です。

もともとこのモデナという町の特集をテレビで見かけて「ほぉ、そんな町があるのか。」と初めて知って「いつか行けたらいいなぁ」が、実現したわけです。


どんなきっかけがどんな形になるのかカギ

こうしたからこうなるだろう、こうしておけばこうなるに違いない…ということはまずないわけで。

私の場合は、特にその傾向が強いようで、ただ一瞬のきっかけが、思いもかけないNextにたどり着いたりすることが多くあります。

だから、楽しいんですねニコニコ

では出かけた町の感想を…

まずパルマ、美食の町として有名ですが、ほかにも音楽ともゆかりの深い町です。

あのトスカニーニ、そしてヴェルディともゆかりの深い土地です。

ハムにはそこまで惹かれないので、ここパルマではパルミジャーノリゾットをいただきました。まろやかな絶品のリゾットでしたグッド!

この日は曇り、時折霧雨が舞うようにまとわる天気で、少し冷えてました。

地図を片手に旧市街をめぐり、冷えてきたところでドゥオモへ。


ここが思いもしないくらい素晴らしかったのですベル

人気もまばらな教会内は、これまで見たことのない内装で、かすかに聖歌が聞こえてきます。

天井に描かれた見事な絵画を見上げ、気づけばかなりの時間が経っていました。

教会に行くと何故か無心になる瞬間があります。

それは扉を開けたときに、頭ではなく心の奥底に瞬時に何かが導かれるような感覚のあとやってきます。

頭で理解するのではなく、心で理解する…日常をこの瞬間、完全に忘れる…。

パルマでそんな時間をもつことが出来ました。

旅とはすべて精神的なものだ。どこか他の地に旅する時には、自分の精神の中でも旅をしている… Ferdinando Scianna


bologna

さて、ボローニャへの旅ですビックリマーク

ミラノからの交通手段は普通列車をチョイス。

ミラノへ戻るときには高速列車をチョイスしましたので、どちらも試すことが出来ました。

どちらが良いか…価格は€20くらいの差ですから、私は断然高速列車を推します!グッド!

とはいえ普通列車も楽しいものです。

ボローニャを基点にして、パルマ、モデナにも出かける予定をしていましたので、その駅を通過して、駅の様子を確かめることも出来ましたし。

高速列車だと、最高速度300キロくらいの猛スピードですので、駅が何かも分かりません()

ボローニャ駅に到着して、まずはホテルに向かうことに。

荷物をおろしたかったので、フロントに告げると早くも部屋を用意してくれました。これはラッキー!ニコニコ


雨・曇りのミラノからボローニャに到着すると青い空が出迎えてくれましたので、このお天気がもつ間に、街歩きに出かけることに。

ヨーロッパ最古の大学であるボローニャ大学を擁して、長く知の拠点として栄えたボローニャ。スパゲティボロネーゼでも有名ですナイフとフォーク

ランチタイムでしたので、私もしっかりスパゲティボロネーゼをいただきました。

何とな~く雰囲気の良さそうなトラットリアに入ってみましたが大正解でした。

フェットチーネにからむ絶妙のソース。当然ながら、美味しくいただきました。

いつもはあまり頼まない赤ワインを飲みたくなるのも、この美食の効果?ワイン

マッジョーレ広場を中心に広がる市街は、歴史の重みをしっかりと感じる建物ばかり。

回廊が広場を囲み、大勢の人たちが集う日曜の午後。

何をするでもなく、ただ街を味わい、街の中にいて、街と共に時間を過ごす。

贅沢ですね、本当に。


なぜなら、外国でそういう時間を持てることはあたりまえではないからです。

「日本だとこうなのに!」、「なんでこんなことを?」とか「いつもと違う!」などなど旅をする中ではいくつもそういった困りごとが起きてきます。


こんな言葉があります。

When you travel, remember that a foreign country is not designed to make you comfortable. It is designed to make its own people comfortable.


旅行をするのなら覚えておいてほしい。外国とはあなたが快適に過ごせるように作られているのではなく、現地の人々が快適に過ごせるように作られているのだということを。


例えば日本であれば、外国の人が日本でどうしたら寛いで過ごせるか、快適に過ごせるかということを「そこまでしなくても」と思うことがあるほど、どちらかといえば、日本にいても故国で暮らすのと同じように…という状態を演出することに心を砕いているさまが多々感じられます。

「おもてなし」の精神の一つの表れ方なのかもかお

私はこれにどちらかといえば否定的ですシラー

それでこその「外国」だから。それだからの「旅」だから。

他国にあって、自国の便利や快適さを再認識したり、自国や自分の不足、不備を再認識することが出来るから。

それを通してcomfortableでいるには、何が必要で何が不要かを体得することが出来るのだと思います。

旅の始まりに重かった肩が、旅の終わりに近づくにつれて軽くなっていくのをいつも感じます。狭くなっていた視野が少し広がって、そして目に映る色合いが華やかになっていくのを実感します。

ボローニャの町を歩きながら、どんと重かった私の肩がどんどんと軽くなっているのを感じていました。

また、良い旅をしていたようですね、私クローバー