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Always smile

めぐりあえた世界に感謝をこめて…

 

ニーム行きの列車は定刻に発車。

9時過ぎでもまだ少しどんよりとした空のリヨン、何しろ寒い!バーガンディがぴったりの気候。日本もずっと曇り空だったので、そろそろ青空が見たいんだけれどなぁ~と思いながら約2時間半弱の列車時間。

 

南仏・ラングドック地方にある都市ニーム(Nimes)

何故この街?といえば、2年前の晩夏の旅の記憶がきっかけでした金魚

スペイン・バルセロナからリヨンへ向かう列車旅で途中停車した駅の1つがそのニームでした。スペイン語もフランス語もちっとも解しませんが、「ナイムス」という独特のアクセントだけが耳に届き、途中停車の車窓から「いつか、ここに来てみたい」とどうやら深く心に刻まれていたようです。

 

Valenceを通過する頃、視界が急に明るくなりました。久しぶりの青空です。少し高めの空が秋の訪れを感じさせてくれました。

この旅に持参したのが、「Georgetown Ladies Social Club本

ジョージタウンはアメリカの首都ワシントンD.Cにある高級住宅街で、政界のお偉方や名家の面々が邸宅を構えていることで有名です。そのお偉方の背後では奥方たちが独自のネットワークを築いていて、この隠然たるパワーが実はワシントンを、ひいてはアメリカに大きな影響力を持っている…という内容なのですが、タイトルだけで何とも時代を感じさせる、というか何というかニコ

現実には女性が党指名を受諾し大統領候補としてMrsではなくMsとして独立して活躍している2016年にあっては、「そんな時代じゃないでしょう。」と思うところあり、そうではあっても「こういうのは決して変わらないんだよな~」と思うところもあり、ワシントンポスト社主のグラハム家、名外交官として名を馳せたブルース家などのエピソードが綴られていきます。女性目線のポリティカルノンフィクションは、旅の絶好のお伴となりました。

 

読書に没頭しているうちに窓から差し込む陽射しが強さを増していることに気づきました。

白壁の街並み、穏やかな牧草地帯だった景色はやがて、テラコッタの素朴な一軒家が点在し、野花が咲く南仏特有のそれに変化していました。青空の色はまだまだ強い青をたたえています。

南フランスに到着ですヒマワリヒマワリヒマワリ

 

Nimes 国鉄駅から、リュックをかついでまずはこの日の宿に向かうことに。駅舎を出ると眩しいほどの太陽の陽射しの主張、そして雲一つない空。

ナイムスの響きを初めて聴いたあの日の記憶が、月日を重ねて再び私をその地に導いてくれましたクローバー

 

旅を重ねていくと、目的を持たない旅ほど旅が目的を示してくれるということが多々あることに気づかされます。そのときどき、自分に必要な何か、知っておいた方が良い何か、何らかの意味を旅が自分に示してくれます。

 

そんな導きの旅がここニームから始まりました。

もし何とか運とかいうものがあるとしたら、仕事運がついているのか、ついていないのか…この忙しさ。

やりがいのある仕事が半分、あと半分はやりがいというよりはお粗末きわまりない仕事の後片付けzzz

思いますね、こういうとき。「やりがいのある仕事の各々をなしている人たちとだけ仕事出来たら、より良い仕事が出来て、より良く人間関係が運んで、より良い次なることが続いていくのに。」と。

やっぱり「人」なんですよね、仕事ってニコ

鏡に映る自分の顏がどうも曇りがちになってきていました…。そんな私にとても必要だったのが、心の空気の入れ替え。

幸運なことに日常のさまざまなシーンで佳き人々に恵まれていることは重々分かっているのですが、それでも必要なのは非日常の空間に身を置くこと。

休むにはハードルが高い…でも、やっばり行かないと!

 

そして私は機上の人へ飛行機

12時間のフライトを経て到着したのはパリ・CDG空港。

いつもより短かな日程、でも行きたいところ、踏みしめたい土地はたくさん。

フランスの地図を前にぐるりと線をひいてみました。

後々驚くことになるのですが、これが過去から持参した宿題と今の自分の興味とが見事に一つの線になっていました。

ベルCDGを基点にリヨンへ。そして南仏のニーム、アルル、アヴィニョン、モンペリエを訪ね、南西部ミディ・ピレネー地方のトゥールーズ、モントーバン、そしてバスク地方をまわり、ボルドー、ポワティエ、トゥール、旅の終わりはパリという行程です。

 

フライトは順調に進み、定刻よりは少し早く到着しそうな雰囲気。

これはラッキー!というのは、この日の宿泊をリヨンにしていたので、予定より一本早いTGVに乗れるととても楽~ということで。

お隣になった女性はこれからパリの親戚を訪ねるところとのこと。

35日の強行日程だけれど、本格的にパリに出かけるのは初めてで緊張している様子でした。私にもあったんだろうなぁ、そういう頃が…(遠い目)

やがて打ち解けて「何かおすすめありますか?」と聞かれ話が弾みました。逆にリュック1つの私の旅の話にも質問続々でした。

到着後、席を立つとき「どうぞ楽しんで。良い旅を!」というと、「本当に気をつけて。」と送り出されました。

一期一会、これもまた旅ならではの出会いですチョキ

 

断続的にテロが続くフランス、空港の様子は?というと緩い!本当に緩い!!

おかげで楽々とイミグレを通過し、見ると予定より早いTGVに余裕で乗れる~。

切符を手配し、タブレットでメールをチェックして返信したり到着メールをしていると、危ない危ない!

列車の発車時刻寸前でしたウシシ

 

何とか無事に列車に乗り、空港から約2時間。

ローヌ・アルプ県にあるリヨンに到着。

下車するとひんやり~、どころかぐっと冷えます。雨もパラパラと降っていてど~んより。

ホテルは明日の出発に備えてリヨン駅近くにしておいたので、助かりました。

リヨンは2年前の夏に訪れたことのある街、一番好きな町の一つに挙げれるほどとてもぴったりときた街でした。

今回は残念ながらの雨、そして日曜ということもあって殆どのお店がクローズ(ヨーロッパの日曜って本当にビックリするほど静かなのです。これが地方となれば余計に。星

重い灰色の空の下、疲れた体を痛めるといけないのでこういう日はゆっくりとするに限ります。電車旅用に持参した本を読んだり、タブレットで調べものしたり…そのうちにウトウトと幸せな夢の中へ。

 

明けて月曜の朝、南仏ニームへの出発が9時半。リヨンの日の出は7時半頃。

眠りから覚めた街が早くも動き出す頃、私もパッキングを済ませリヨン散策へ。

地理感覚はしっかりと残っていたので地図も持たず、凛とした秋の風に包まれて街歩き。ふわりと漂ってくるパンの良い香りに引き込まれてブランジェリーに入り、クロワッサンとカヌレを1つずつ。

あ~、フランスだぁ~プレゼント

 

リヨン旧市街へつながる大きな橋にたどり着き、雄大なロワール川とフルヴィエールの丘を遠くに臨む幸せ。

空が少しずつ明るみを取り戻し、再び人々がそれぞれの時の針を前に進め始めます。

ひとしきりその静かな始まりのときをしかと捉えて、さて私も「私の時の針」を前に進めることにしましょうか。

休日の午前。

一週間の疲れを睡眠で解消して、さぁそろそろ始動しようかとする頃、一本の電話が。

電話の向こうからは懐かしい声ニコ

幾たびとなく訪れ、今でも大好きな場所ニューヨークでお世話になったおじさんから。

 

おじさんの開口一番が「今どこ?!?

そうそう、いつもおじさんからの電話やメールを受けるとき、私は大抵日本ではなく、異国の地へにいることが多く、いつも「ほ~、そんなとこまで出かけて何してますの?」と会話が続いていくわけです。

珍しく?日本に居た私は、「日本ですよ」と言うと「あれあれ珍しい。」と即答が。

長らくのアメリカ生活を終えて、日本に帰国したおじさんでしたが人生の大半を過ごしたニューヨークには度々出かけているようで、この日も「いや、ちょうどニューヨークからいろんな食材持って帰って来たから、ご馳走作るよ。」とのご招待ラブ

残念ながら別の日程があり、今回は泣く泣く見送ることになりましたが、この会話だけで一瞬にしてニューヨークの空気をそばにしたような感覚、「私の」ニューヨークの風景に包まれたような、何だかとても新鮮で、どこか懐かしいような不思議な感覚になりましたチョキ

 

何度訪れてもまた何度もでも行きたかった町、ニューヨーク。

そのニューヨークが旅の選択肢の上位ではなくなったのが、かれこれ何年ほど前か。

あ~、楽しかったなぁ。

あ~、また行ってみたいなぁ。

とは思うものの、旅先は別の大陸にシフト。

それでも、私の中でとても大切で特別な場所であることには変わりません。

 

ニューヨークへの旅が続いていたある頃、とある方との縁で、縁がまたさらに広がりおじさんとも出会うことになりました。

そのおじさんがまた次から次へと新しい縁をつないでくれて、それは今も続いています。

 

出来れば出かけてみたかった場所、海、山、マンハッタンから離れたもう一つのニューヨークのさまざまな場所、本当にいろんなところに連れて行ってもらいました。

興味の分野をさまざまに広げ、たくさんの人と出会い、たくさんの一級のものをこの目にし、たくさんの輝くものと、その輝きを助けるものと、動と静は、行く度に心の糧になりました。

そんな旅は、その地を訪れなくなってもある瞬間に、ある言葉で、ある瞬間の何かを共有した人との会話で、まるでその場にいるように鮮やかに彩りを増す

 

1人の眼では見尽くせなかったものを、場所を、空気を感じる。

「糧」を得るプレゼント

 

「じゃあ、また近々、別の機会に。」ニコ

こうして私の暫くぶりのニューヨーク時間はひとまず休憩に。

 

さぁ、ニューヨークが教えてくれた心の糧となるような「私の」旅に出る頃のようです。

 


inns


独りで廻る旅の面白さ、二人で巡る旅の深み、それ以上で移動する旅の厚み。
旅はその時々、その連れ合い、その行先によっていかようにも変わっていきます。
例えばそれが仕事が目的の旅でもしかり。
いや、それに気づいたのは今回の「旅」が初めてだったのかもしれません(遅ッ!)ガーン
仕事が目的の旅でも、それは立派な「旅」なのだと。

2泊3日、仕事で4つの市を移動することになりました。
梅雨のこの季節、決して楽ではありません。荷物は最小限にしたくても、お決まりのさぁ、リュック1つ旅!というわけにも、リネンシャツにサンダル!ともいかずあせる
「は~、仕事って服も荷物も気持ちも重い…」と憂鬱な気持ちで梅雨空の下、空港に急ぎチェックイン。
それも1人での仕事旅。土地勘のない場所での時間配分、交渉の過程も結果も、全ての責任も自分もち、そして結果は自分次第ですが、評価されることはありませんしょぼん

キモチは重くなる一方…、そんななかシートベルトサインが消える頃、ふと窓の外を見ると青い空が広がっていました。
何かが「キラリ」とした瞬間でしたチョキ
厚い雲の下に着陸して、再び梅雨空のどんよりした中を仕事先へと向かいながらも何故か前向きな気持ちになっているのを少しずつ感じていました。


まずは1か所目、ここは初めて訪れる場所で、なおかつ非常に厳しいところ得意げ
直球勝負が叶う場所でもないことは感じていたので、とある方に仲介の労をとっていただきました。快く受けて下さり、95%まではその方がレールを敷いてくださったといってよいほど。

口頭試問のようにその場でかなり突っ込んだ質問を投げられましたが、何とかクリア。

心地良い疲労感と達成感を感じることが出来ました。

翌日は移動距離の長い体力的に厳しい日叫び

こんな日に限って交通事情が悪く、土地勘のない私にはお手上げ状態。

すると、偉い先生自ら「迷われちゃかなわん」と自ら駅まで先導してくださり、乗り換えの指南まで…おかげさまで無事に移動をこなし、午後からの日程にも余裕の到着が叶いました。

そしてまたもそのタイミングで着信が!携帯

次の仕事先との交渉のレールを敷いてくださった方からでした。仕事が終わり次第、連絡をするようにとのこと。またお叱りでも受けるかと思いきや、「不慣れな場所で迷われたら困る!」とお迎えに来てくださり、なんとも絶品の食事処まで案内をいただき、地元の人たちの気取りのない会話を肴に何とも贅沢なひとときを過ごすことが出来ました。

雨も上がり、心地良い風に吹かれながら通りを歩く解放感といったら、それはもう「仕事」ではありませんでした満月

翌日、ジリジリと照りつける夏の陽射しのもと、最後の目的地へ。

久しぶりに超ローカル路線に乗って、ICカードも使えない場所へ移動。ピッピッと聞きなれた機械音の一つも聞こえない、人と人とが触れ合う緩やかな世界。便利に慣れた自分を改めて省みる機会でもありました。

「仕事」が目的でも、それは「旅」でもある。
「人と人との縁、そしてその先にあるもの」があれば、それは出張という日常の移動であっても、「旅」となる。
人と人とが出会い、何かしらのきっかけで親交を深めていく。
さまざまな出会いのおかげで、これだけでも大変な幸運だということまでは気づいていました。

でも「その先にあるもの」までは気づいていなかったのです。
一時の知り合いではなく、自分がどのような立場にあっても、好調なときでも、不遇なときでも、変わらず接して変わらず親交をつないでいてくれる存在に、どれだけ恵まれているか。

そしてそういうときに、それを気付かせるかのようにかかってくる電話が星
陰々鬱々としたメンタルだったため、既に何度かかかっていた電話は全て黙殺。
でもその日は違いました。
ようやくもようやく、電話に出た私に怒るわけでも、嫌みを言うわけでも説教するわけでもなく。そして差し迫った連絡であったわけでもなく、いつものように笑い、いつものように続き、いつものように「ばいばいきーん」で終わる電話

そしていつものようにその後に続くメールにはこうありました。
「声が聞けて正直ホッとしました。これ、正直な話、もう生きててくれるだけで充分やから。」と。

訪れる先々に、打算も恣意的なものも何もないただただ人を「思い遣る」つながりに気づかせられる。

それはもう仕事ではなく、立派な「旅」でした。

この「旅」、実はまだまだツヅク…



hkg

久し振りの場所に出かけてきました飛行機

ちょっと香港まで。

ふと思い立って。

「そういえば、いつ以来なのかなぁ…」

「海老ワンタンが食べたい!

記憶だけは今もはっきりとしていて、空港からのエアポートシャトル、セントラルの喧噪、湿気を深く帯びたこれぞアジア!の空気、エネルギッシュな人々などなどなど…

それは何度も行きましたもの。

ニューヨークに次ぐくらいの回数は出かけたのではないでしょうか。

行きました、食べました、買いました、楽しみました!

そう、おそらくは堪能しすぎて、「これでよし」と暫らく訪ねることがなかったのかもしれません。

苦心して何とか日程を作って、飛行機をおさえて、ホテルをなんとか探して…という旅計画は私の旅ではほぼなく、何故かスムーズにエア、ホテルと決定していくことが多いです。旅は行くべきときには、行けるべくして、そのように整えられている…というのが信条。

かくして、10年ほどの時間を重ね、4時間のフライトで30℃、湿度90%の香港に出かけてきました走る人

ほぼ10年前の、しっかりした記憶。

それは最初から、「あれ?変わった?」の連続でした。

まずは機内から様子がどうも異なります。日本人よりは中国人が多く、また年齢層も高め。

私の記憶では、若い世代が友達と連れだって、ガイドを広げてああでもないこうでもないと到着後のシュミレーションをしているもの…今回、コレはゼロ。あれ???

到着してイミグレに向かい、パスポートにまた一つスタンプ~と審査を待っていると渡される半券だけ渡されて終了。…あれ????

セントラルまでシャトルで向かい、今回の滞在先に選んだワンチャイにあるホテルに向かうことに。

寒いくらいの地下鉄を下車して地上にあがると「…オッときた、こんにちは!アジア~」の蒸し暑さ満開の空気。

ホテル側の配慮で、ルームランクを上げてもらい広くて快適なお部屋にチェックイン。

タブレット片手に「さぁ、どこ行くか」を探してみることに。

こうして選んだのが

・ワンチャイ

・ローカルスーパーを訪ねる

・ションワン

・チムサーチョイ裏通り

・カフェでのーんびり

・海老ワンタン!⇒これは譲れないグッド!

10年前と何が変わったかと…

まず日本人の姿をほとんど見かけることがありませんでした。…あれ????? (日本人を見ることがなかったというのは、そういう場所には行かず街歩きがメインだったからかも?)

何より町も大きく変貌していましたし、返還後の香港を何度も楽しみましたが、町も人も一層、「中国」に戻っていっている…当然のことなのでしょうが、そんな印象でした。

かえって日本の方がお得?というほど物価も高騰していましたし、日本製品をあちこちで見かけ、爆買いの光景も日本で見ているとさほど変わりなく。

良い悪いではなく、「返還」というのはこういうことなのだなぁ…と実感しました得意げ

そして何より変わったのは自分だということ。

ほぼ空のスーツケースと一緒にやってきて、街に繰り出して、ああでもない、こうでもないと梯子ショッピングと梯子食。あれもこれもをめいいっぱい楽しんで、たくさんの戦利品を詰め込んで満ち足りた気分で帰りのフライトへ。

「あとのことは(支払)あとで考えよう」を合言葉に。

今の私は最小限のものだけをリュックに入れて、旅のおともはタブレットとノート、そして本。

何が至福かといえば、濃い夕焼けの空と漂う波、そしてまどろみの光景を眺めるとき。座り心地のよいソファのあるカフェで、どっぷりと腰をかけて読書するとき本

それでよいのです、そう、これでよいのです。

この10年で私が旅に求めるものは大きく変わり、それと同時に、旅が私に与えてくれるものも大きく変わりました。

笑ったことしか思い出せない10年前の旅も本当に本当に楽しかった。

でも、それから10年後の今の旅も、私はとても気に入っています。

それでよいのです。

だから、これがよいのですニコニコ