年の暮れ、母校の同窓会のお偉方から記念誌への寄稿を依頼されました。
日常にあって時間に追われるなかで、なかなか思考をリセットできないまま、
ちょうど冬旅の出発が近づいていました
。
行先はサンフランシスコ。
一度は出かけたことがあるので今回は郊外をメインに日程をたててみました。
サンフランシスコ、スタンフォード、モントレー、パシフィック・グローブ、そしてカーメルです(旅の詳細はのちほど)。
ようやくコーヒーを美味しいと思うようになった私にとって、
サンフランシスコへの旅の一つのテーマが、1日1回、どこかでコーヒータイム
。
楽しませていただきました。
旅を初めて20年弱、
ショッピング、観光、エンタテイメント!とギラギラしていた私の旅スタイルも少しずつ変わり、
都市を少し離れた小さな町に向かう鉄道に揺られる旅の中の旅時間、
ふと入ったカフェで読書したり、公園でぼんやりする時間がメインになってきました。
そんなぼんやり時間にこそ頭はリセットされたようで、
遠く久しい母校の空気が心に易しく吹いてきました。
赤レンガのキャンパスに続く桜並木、
図書館のお決まりの場所から見た景色、
そして学食前のテーブルが私にとっての懐かしの原風景。
そして思い出すワンシーンが、ある穏やかに晴れた日の光景でした。
通りすがりに出くわした学生と教授の何でもない会話です。
「若さがあるから大丈夫!」と言った彼女に、教授が向けた一言が何故か消えずに耳に残っています。
「若さとバカさを間違えるなよ。」
確かに
!
若かった当時は「若さがあるから!」側にいましたので、教授の意図するところを理解していませんでした
。
年を重ねた今でもしみじみ思うことは、若さで許されることは多々あるということ。
これは紛れもない事実で、誰もが随分と恩恵に預かってきたのではないでしょうか。
ただ加えて、今となって分かるのは、
若さがあるからと無謀に奔ることは「バカさ」に通じていくこと。
若さというのは残念ながら期間のごく限られたもので程なくして終わるものということです。
その短さを自覚せず、同じことを繰り返していくのは「若さ」で赦されるものでなく、
バカさそのものであること。
「ゆっくりしているのと遅いことは違う」
「華やかなのと毒々しいのは違う」
かつて赦されたふるまいや所作も時の経過とともに、形を変えていかなければいけないということか…
今更ながら、先生、さすが!
若さはいつしか時によって容赦なく奪われていきますが、
時はその代りに我々に豊かさを与えてくれます。
それは永続であるものはないという事実を認め、
生きた年数に応じたその時々の経験をしていくことで沁みいるように、
まとうようにして満たされていきます。
旅先で出会う風景、空気、人々、全てが私の時間である非日常にあって、
旧きを顧み、自省する瞬間が時折ふと訪れます。
それはとても大切な、大切な時間です。
